<未来に伝える沖縄戦>死体を飛び越え移動 上原豊子さん(80)〈下〉


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避難したチビチリガマでの様子を語る上原豊子さん=読谷村波平

 〈チビチリガマに避難していた上原豊子さんと家族は、他の住民が「集団自決」(強制集団死)をし始めたので、ガマを出ました。米軍に保護され、水陸両用車(上陸用舟艇)に乗せられました〉

 「聞いていた通り米兵は私たちを海に捨てに行くんだね」と思いながら車に乗っていました。

 ですが、都屋の海岸に着くと、海のそばの木の下にたくさんの人がいました。チビチリガマの近くにあるシムクガマに避難していた人たちが先に保護されていたのです。

 うれしかった。「ああ、みんなに会える!」と。ユウナの木の下で、知り合いと再会して、わいわいと喜びました。

 〈上原さんたちは数日間都屋で過ごします〉

 海には船がいっぱいいて、夜は照明弾が上がった。あの頃はまだ打ち上げ花火を見たことがなかったけど、まるで花火みたいだと照明弾を私は眺めていました。

 都屋では昼も夜も飛行機が火が付いたまま「ぼぼーっ」と海へ落ちていくのが見えた。

 これは日本軍の特攻隊なのかと思います。特攻隊がアメリカに狙われて落とされたのか分からないが、怖いという気持ちよりも「だー、すごいすごい」と思って、ただ見ていました。

※続きは2月12日付紙面をご覧ください。

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