<未来に伝える沖縄戦>飢えに苦しむ日が続く 東恩納徳信さん(75)下


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「戦争は家族が亡くなっても涙も流さないような心になる」と語る東恩納徳信さん=18日、浦添市の浦添中学校

 《東恩納さん家族が浦添からたどり着いた国頭村辺野喜では避難小屋が用意されていました。中には2、3百人の避難民が過ごしていました。避難先での生活は食料がなく、飢えに苦しむ日が続きました》

 弾が飛んでくるのも怖いけどね、食べるものがない。じゃあどうするか。米兵が出てくるとは知っていたが、あまりにひもじくて、近くの道路に1人で下りて、ミカン、イチゴなどを食べた。帰るとき5、6人のおじさん、おばさんに「おい、あんた何をしてるんだ」と聞かれ、イチゴやみかんがあることを教えた。「じゃあ一緒に取って食べよう」と言うので行ったら、山から「トマーレ、トマーレ」と、米軍の声がした。
 「あっ、アメリカーだ」って、山に逃げたが、おじさん、おばさんは、みんな銃撃されて死んだ。私は背が低い子どもだったから1人だけ撃たれなかった。とにかく戦争というのは、どんなところに逃げるかも決まってもない、どのようにして過ごすかも決まってもいない。運がよくて、弾にも当たらなくて生き抜いた。

※続きは1月27日付紙面をご覧ください。