高位な人まつった? 竹富島の「坊主墓」は一体誰の墓? 島の大きな謎解明へNPOが情報提供呼び掛け


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「坊主墓」の情報提供を呼び掛けるNPO法人たきどぅんの上勢頭保理事長=9月27日、竹富町竹富島

 【竹富島=竹富】竹富町竹富島に古くから「坊主(ぼうず)墓」と呼ばれる墓がある。高位な人物がまつられていたとみられる特徴があるが、まつられていた人物や建てられた経緯などが不明で、大きな謎として島で語り継がれてきた。島の文化財管理などに取り組むNPO法人たきどぅん(上勢頭保理事長)が謎の解明に本格的に乗り出しており、坊主墓についての情報を募っている。

 坊主墓は島の北側にあり、数百年前には沖縄本島・那覇の崇元寺から僧侶が毎年のように供養に訪れていたというのが、その呼び名の由来だという。

 竹富島に残る墓で唯一、高位な人物の墓に付けられるという宝珠が墓上部に乗っている。墓を造る石垣も、島で一般的な野面積みではなく切石で積まれており、「アーイシ」と呼ばれる島では取れない石材が使われている。上勢頭理事長は「島外から運ばれてきたのは間違いない」と話す。

 上勢頭理事長によると崇元寺や、僧侶が宿泊したという石垣島の桃林寺に資料の存在の有無を以前確認したところ、太平洋戦争や明和の大津波で喪失したとの回答だった。今から約60年前に伊是名島か伊平屋島からユタが訪れ、「首里に納める」と遺骨を運んだとも伝えられてきたという。

 たきどぅんは島の古老とも相談の上で本格調査を決め、今年8月に清掃や祈祷(きとう)を兼ねて墓上部のふたを開けて内部を調査したところ、口承通り遺骨はなかった。一方で、元々骨が納められていたとみられるかめの破片が残っていたという。

 たきどぅんでは、八重山諸島を統治するなど16世紀に活躍した島の偉人・西塘(にしとう)の母の墓ではないかと見ている。上勢頭理事長は「NPO発足当初から坊主墓の謎の解明は目標だった。西塘の母親であるならばなおさらだ。ヒントが失われる前に、できるだけ早く謎を解きたい」と情報提供を呼び掛けた。情報提供はNPO法人たきどぅん(電話)0980(85)2488。
 (大嶺雅俊)