平和への思いかみしめて 新基地建設への抗議活動6年 うるま市の伊波實盛さん 


この記事を書いた人 問山栄恵

【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設工事で29日、名護市安和の琉球セメント桟橋前に集まった市民約25人が抗議の声を上げた。抗議活動参加者の中に、米軍基地と隣り合わせで生活してきたがゆえに戦後にもかかわらず戦争を意識してきた男性がいる。うるま市の伊波實盛さん(66)=うるま市=だ。平和の尊さを実感する伊波さんは抗議活動の現場に足を運んで6年になる。

  伊波さんの自宅は嘉手納基地弾薬庫の裏手にある。城前小学校1年生だった60年前の6月30日には近隣の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、その現場を目撃した。「校舎が炎で燃えていた。焼けた死体が転がっている惨状だった」と話す。

  ベトナム戦争が始まると、弾薬を装着した米軍機が一日に何機も学校の真上を飛行した。「いつも怖かった」。同時に基地から飛び立った米軍機がベトナムの人々に被害を与えているという事実も重くのしかかった。

  高校生の時には祖国復帰運動に参加した。米統治下の沖縄について「米軍はやりたい放題で沖縄は治外法権だった」と振り返り、「(復帰運動に)多くの高校生が参加していた。今の高校生はおとなしすぎる」と話す。高校卒業後は、故郷に錦を飾ろうと東京で13年間、調理師として必死に働き腕を磨いた。沖縄に戻ってからは居酒屋を開いた。

  抗議活動への参加は2013年からだ。前から興味はあったが、孫が生まれたことで「未来につけを残してはいけない」との思いが強くなり、現場に足が向かうようになった。「爆音がない平和で静かな日常がほしい」。伊波さんはいつか基地がなくなる日を願っている。【琉球新報電子版】