沖縄のシンボル・首里城とは 琉球王国450年の政治と文化の中心 沖縄戦で全焼し復元された世界遺産


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首里城正殿=2018年12月撮影

 首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。首里城公園の公式ホームページによると、内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。

昭和初期頃の首里城正殿

 公式ホームページによると、首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国を統治する行政機関である「首里王府」の本部でもあった。各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍。首里城は文化芸術の中心でもあった。

陥落後の崩壊した首里城=1945年(県公文書館所蔵)

 首里城正殿は1925年に「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦で焼失。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスになったが、大学移転後に復元事業が行われ、1992年に本土復帰20周年を記念して国営公園として復元された。

九州・沖縄サミットで社交夕食会が行われた=2000年7月

 2000年12月には首里城跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、日本で11番目の世界遺産に登録された。同年には「九州・沖縄サミット」の社交夕食会が開かれた。二千円札にも描かれている。
 今や沖縄を代表する観光地として国内外から多くの観光客が訪れている。
 毎年秋に琉球王朝の華やかな儀式や行事を再現する首里城祭が行われており、今年も10月27日に開幕し、11月3日の日程で開催されているところだった。

首里城正殿で行われている行事の様子=2014年