保育園の園長、ママたちが声を震わせ国に訴えたこと 「子らの命守って」 緑ヶ丘保育園米軍部品落下から2年【要請全文あり】


この記事を書いた人 Avatar photo 宮里 努
政府に対する陳情書を手渡す「チーム緑ヶ丘1207」の関係者ら(左)=6日午前、国会内

 沖縄県宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園に米軍機の部品が落下し、7日で2年を迎えた。米軍は所属機からの落下を認めず、県警の調査は進んでいない。園関係者が園上空の飛行禁止を求める一方、米軍機は園上空を飛行して騒音を響かせ、子どもたちの安全を脅かしている。園児の保護者と神谷武宏園長らは6日、政府に対し子どもたちにとって安全な空を実現するよう求めた。

 保護者らでつくる「チーム緑ヶ丘1207」と神谷園長らの政府交渉は、今回で3回目となった。国会内で外務、防衛両省や警察庁の担当者に、この2年間の進捗(しんちょく)などをただした。

 警察庁の担当者は、米軍機からの落下物かについての確認は現在も取れていないと説明し、原因究明について「必要であれば県警で適切に対応していく」と述べた。保護者らが求めている落下時の再現実験に関しては「痕跡と音声データの解析を含め、どういう再現がふさわしいか検討している」と語った。

 防衛省の担当者は、6~8月に沖縄防衛局の職員を派遣し実施した調査結果を、12月に米側に示したことを明らかにした。米側との詳細なやりとりの説明は控えたが、「現状が大きく改善されていないということなので、我々としてはそうした取り組みを継続する」と話した。

 警察庁が昨年12月も同様の説明をしていたことに、保護者らは「(再現実験の)準備に1年もかかるのか」と疑問を投げた。園の保育士・瑞慶覧愛美さん(28)は「園上空の現状はひどくなっている。保育園に通う子どもたちをはじめ、沖縄の子どもたち、県民の命を守ってほしい」などと声を震わせながら訴えた。

 部品落下は2017年12月7日午前10時20分ごろ発生。当時、米軍普天間飛行場を飛び立った大型輸送ヘリコプターCH53Eが上空を飛行していた。

 

 東京の衆院第一議員会館で6日にあった政府要請の冒頭で、緑ヶ丘保育園関係者らが訴えた詳細は以下の通り。

 

「2年たち状況はひどくなっている」

■神谷武宏園長  きょうで政府要請、3回目です。明日で保育園の落下物事故から2年を迎えます。私たちは、ここに来たくて来ているわけではないです。2年たっても、状況は全く変わらないので、きょうは(直前に流した動画の)音声が悪かったんですけど、あれが日常です。落下物事故から2年たちますが、きょうの陳情の中にもありましたけれども、状況はますますひどくなっているんです。

 外務省のHPにもありますように、米軍普天間飛行場の飛行ルートからは私たちの保育園は外れているはずです。ですけれども、ここがあたかも飛行ルートであるかのように、毎日のように園上空を飛び交っているわけです。そのことを米側に伝えて、保育園の上空、そして学校の上空、そういうところは飛ばないでくれと、飛ばないようにと、きちんと政府として訴えてくれと、そういうことを言っているんです。2年たっても、昨年も私は同じことを言っていますが、全く何も変わっていませんよ。

 それから、県警のほうには、再度調査するようにお願いしています。ですけれども、県警のほうからは、昨年も同じことを警察庁から伺いましたが、「調査中」だという言葉、同じ言葉を県警の方々もおっしゃるんですね。「どんな調査をされているんですか」と聞いても、それに関しては「お答えすることができない」というふうにおっしゃる。現場検証に来ないんですよ。もっと現場を見る必要があるんじゃないですかとお願いしても、あの事故の1回、初日とそして2週間後の2回。それだけです、来たのは。私たちが見て、調査しているようには思えません。

 きょうは、昨年「調査中」だとおっしゃった警察庁の方から、どんな調査が、展開が進んでいるのかをお聞きしたい。それから外務省、防衛省の方々にも、保育園の上空を今も変わらず飛び交っている状況をどう思っていらっしゃるのか、そして米側にきちんと伝えてあるのか、昨年のそのことの回答をいただきたいと思っています。ぜひ陳情書にありますように、事故の究明、飛行禁止をぜひまたお願いしたいと思います。

 

「落下物があと50センチずれていたら…」

■瑞慶覧愛美さん(園の保育士)   私は緑ヶ丘保育園の保育士として働いています。私は実際に事故を園庭で体験したのでその時の様子と、今の保育園の現状と、一緒に働いている保育士の思いを背負ってここに来ました。少し長くなりますがお話したいと思います。

 2017年12月7日、その日私は保育室で子どもたちと紙粘土を使ったクリスマスツリーの製作をしていました。やるべき製作を終え、園庭へ出ようと思っていたのですが、「もっとやりたい」という子がいたので、「お外でやろうか」と声を掛け、外へ出る準備を終えた子から順次出るように促しました。先に3~4人を連れて外へ行き、靴箱の前、2~3メートルほどでしょうか、ゴザを敷きながら「ここでやろうね」と話している時に、背後からドンという音が聞こえました。「何?」と振り返ると、かすかに何かが跳ねて落ちてきたように見えました。と同時に、ヘリコプターの音が聞こえていたのを覚えています。

 そして、園庭にいたもう1人の保育者、保育室にいた2人の保育者も出てきて、「何の音?」「何か落ちてきた?」「ヘリからじゃない?ヘリの音が聞こえたよ。とにかく園長先生に報告してきて」と言われ、私は2階にいた園長に報告、確認してもらいました。

 あの日から、ここにいるお母さんたちを中心に活動が始まりました。各所を飛び回り、署名活動、政府要請など、いろいろな活動をしてくださっています。しかし、保育園の上空の現状は何一つ変わっていません。むしろひどくなっています。飛行機の影が部屋の中から分かるくらいに、低空飛行している日があります。園庭の上り棒という遊具に上っていたときに、飛行機が通ると「近かった」と慌てて下りてくる子がいました。戦闘機が通った時でしょうか。爆音に地震が起きたかのように子どもたちは皆固まり、耳をふさぎ、泣き叫んで保育者に飛びつく子もいます。1歳児クラスの子どもは、飛行機が通ると、保育者が何も言っていなくても「うるさーい、またくるよ」と自然に言葉が出てきます。これが緑ヶ丘保育園の現状です。

 緑ヶ丘保育園は、外遊びが充実している保育園です。春は新入園児が泣いていても、公園のような園庭で遊びを楽しみ、保育園で飼っているウサギとカメに触れて、初めての親離れの寂しさをいやします。夏、暑い日は常に水遊び、どろんこ遊びをします。保育者が作るウォータースライダーを目一杯楽しみます。子どもたちの目は常に虫探しで輝いています。秋、優しい日差しの下、運動遊びをし、ござを広げてままごとをし、好きな遊びを充実させています。冬、「寒いねぇ」と言いながらもしまぞうりで園庭を駆け回り、汗をかきます。

 それだけ、子どもたちにとって、緑ヶ丘保育園の園庭はとても親しみがあり、大切な場所です。卒園生が保育園を訪れて、園庭を懐かしむことがあります。そんな大好きな場所ですが、あの事故以来、米軍機がよく通る日、低空飛行している日は、「今日はお部屋遊びにしようね」と子どもたちを説得し、園庭遊びをやめます。私たち職員は外遊びをしているときに、米軍機が通ると、また何か落ちてくるんではないかと上空を確認します。本当に、米軍機に敏感になりました。

 なぜ、私たちは被害者なのに、気を遣わないといけないのでしょうか。なぜ、保育園上空は飛行ルートではないのに、毎日飛び交うのでしょうか。私たちは園生活で大きなけが、事故がないように気をつけて保育を行っています。しかし、空から落下するものまで誰が予測できますか。どうして、命は平等に保証されるはずなのに、米軍機によって脅かされるのでしょうか。

 2年前のあの日、あの時間は本当に奇跡のタイミングだったと思います。あの落下物があと50センチずれて園庭に落ちていたら、その下は靴箱です。そこに座って、自分のクラスの子が靴を履いていたら…。想像しただけで今でも背筋が凍り、手が震えます。

 色んなタイミングが重なって守られていたから、あの日はけが人が出ませんでした。しかし、次は分かりません。これだけの米軍機が通っていれば、また何かが起こるはず。そして、その時は、今回のように奇跡は起こらないかもしれない。死者が出てから動くのでしょうか。その前に、どうか保育園上空を飛ばないという約束を守ってほしいです。守らせてほしいです。保育園に通う子どもたちをはじめ、沖縄の子どもたち、県民の命を守ってほしい。どうかよろしくお願いします。

時折、米軍機の騒音が響く中、園庭で遊ぶ子どもら=2018年6月5日午前10時ごろ、宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園

 

「子どもたちの安全よりも大事なの?」

■宮城智子さん(チーム緑ヶ丘1207会長)  きょうは12月6日です。2年前のこの日までは、まさかこういう場に三度も来るとは夢にも思っていませんでした。

 日本は、沖縄は平和だと思っていました。銃や武器を持った争いのないことだけが、平和ではないんだって今では思います。平和って何だろうって考えるようになりました。事故があって、これまで生活していた日常や環境は、実は当たり前ではなかったんだ。落下物、米軍の飛行機、ヘリ、米軍機が飛ぶ限りは、いつ起こるか分からないっていう危険、危機感を持ちながら暮らさないといけない私たち。これまでも事件や事故はありました。今もまだあります。これからもあるんでしょうか。いつまで続くんでしょうか。私たちの子どもたちの未来まで持っていきたくはないです。安心や安全っていうのは子どもたちの命が守られてこそ、平和ではないのかなって、常々思っております。

 落下物。緑ヶ丘保育園の後に(普天間)第二小学校にも落ちました。奇跡的に無事でした。でもそれが、皆さんの子どもが通う保育園や学校だったらということを想像したことはありますか。たまたま落ちました。たまたま無事でした。でもたまたまそれが当たったら…ということを考えてみてください。私たちは2年訴えています。県内でも、政府要請にも来ています。でも状況は全く変わってません。先ほどもありましたけど、状況はひどくなっています。なぜ変わらないのでしょうか。  昨日も、沖縄では照明弾が落ちてきたというニュースがありました。ここにこそ危機感を持ってほしいと思います。日々の危険、日々の命をさらされている危険。毎日、米軍機は不快だけど、これが今までは普通だと思っていました。でも今はそれは普通じゃないって気付きました。考えました。なぜ、このヘリはここを飛んでいるの?何のために飛んでいるの?今まで考えたことがなかったけれど。ここを飛ぶことに意味はあるの?飛ばすことに意味はあるの?その意味は、子どもたちの安全よりも大事なの?日々、こういうことを考えています。

 今回、3度目の要請になります。事故の原因究明、調査の内容などぜひ聞きたいと思っています。私たちに納得にいく説明、心ある対応をお願いします。

 

「なぜ米軍なら許されるのか」

■知念涼子さん(チーム緑ヶ丘1207副会長)  私も3回目の足を運ぶことになって、とても残念な気持ちです。飛行ルートを守らせるというのは、そんなに難しいことですか。沖縄の戦後、子どもたちが巻き込まれるような事故がありました。それから何十年たっても、変わらない状況というのに気付かされて、ショックを受けています。

 皆さんは今、日本は平和だと思っているかもしれませんが、同じ日本に生きている私たちの子どもの空は、毎日危険にさらされていると思います。ああいう事故があったら飛ばせないんじゃないでしょうか。民間機だったら飛ばないんじゃないかなというふうに素朴に思っているなか、なぜ米軍だったら飛ぶことが許されるのか。なぜその疑問を直視していただけないのかなと、ずっと考えています。

 私たちは、自分たちに起こったことしか伝えることができないんですが、それを伝えることによって、改善できる皆さんに改善してほしいと思ってこの場に足を運んでいるんです。

 私たちが預ける保育園、小学校、何かが起こったときに私たちが飛んでいくことはできません。そこで、子どもたちを預かっている保育士、学校の先生に空の責任を押し付けることはできないです。それは国のやることだと思います。沖縄の空を守ってください。どうにかしてください。そして、改善するために、皆さんが2年かけて何をしていたのか、ぜひ教えていただきたいと思います。

 

「穏やかに子どもたちと生活がしたい」

■与那城千恵美さん(チーム緑ヶ丘1207書記)  事故当時、3歳だった私の娘は、今もう2年がたって5歳になりました。私には9歳の息子もいます。「お母さんあのさ」って、私にいつもくっついてきて、とってもかわいい時期なんです。本当はここに来るよりも、子どもたちの話を聞きたいし、一緒に遊びたいんです。でも私たちは、ここに来ている理由、そんな大切な時間を削ってきている理由は、子どもたちの命が常に危険にさらされているからです。

 事故から何も変わらないし、余計ひどくなっているから、ここに3回も来ているんです。皆さんは、お母さんと大切の時間を普通に過ごしたと思います。私たちは今それができていません。本当に子どもと過ごす大切な時間なんです。私たちは、また普通に、穏やかに子どもたちと生活がしたい。ただそれだけなんです。私たちはただ、皆さんのお母さんと同じ普通のお母さんであり、また皆さんが小さい時に通っていた保育園や幼稚園の先生と同じ、保育園の先生たちなんです。なので、これまでのように冷たい対応じゃなくて、心のない対応じゃなくて、今日は人として、温かくて、前向きな言葉がいただけたらと願っています。皆さん、事故から2年です。本当によろしくお願いします。