【宜野湾】「周りの学校は当たり前に運動場が使えるのに、何で普二(ふに)っ子だけが使えないんだろう」。普天間第二小6年の國吉なぎさん(11)は、2年前の事故を振り返る「同じ空の下なのに」と題した作文を書いた。事故後に数カ月、運動場が使えなくなったり、米軍機が上空を飛ぶと避難したりする現状に率直な思いをつづった。
運動場に米軍ヘリの窓が落下した日、4年生だったなぎさんは体育の授業で運動場にいた。クラスの男子が大縄跳びで女子は鉄棒。友達が「何か看板みたいな物が落ちてくる」と言った途端、「ドン」という音がし砂ぼこりが舞った。
何が起きたのか分からず、皆の後を追い校舎へ走った。皆がパニック状態だった。校内放送で窓落下を知った。早めの下校となり、迎えに来た母の美和さん(48)に運動場にいたと伝えると、美和さんは「うそでしょ」と叫んだ。
一番つらかったのは運動場が使えないこと。ドッジボールができず、遊具でも遊べない。学校から児童の元気な声が消えた。
運動場は2018年2月から使用できるようになったが、米軍機が近づくと監視員が「逃げてください」と呼び掛けた。1回の体育で5回避難し、授業にならなかったこともある。監視員は同年10月からいなくなり、米軍機の接近に伴う避難はなくなった。
作文では「一人でも多くの人に考えてもらえるなら、皆の願いである平和な島『沖縄』に近づける」と訴えた。
作文は今年10月にあった市の「童話お話大会」で読み上げ優秀賞となった。多くの議論がある基地問題を書くことに悩んだが、自分の目線で正直に書いた。美和さんは「児童の皆が(なぎさんと)同じ気持ちだと思う。なぜ児童が運動場を使えない苦痛を強いられるのか」と疑問を呈す。
「何で普二っ子だけが」。なぎさんの問い掛けに、答えはまだ出ていない。
(金良孝矢)