彼らの涙、故郷への思いひしひしと ブラジル公演でHYの仲宗根が見て感じたこととは… 〈南米紀行〉上


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 うるま市出身のバンド、HYの新里英之(ギター・ボーカル)、仲宗根泉(キーボード・ボーカル)、名嘉俊(ドラム)、許田信介(ベース)の4人は11月8日から10日にかけて、初の南米ツアーを開いた。8日にブラジル・サンパウロ市、10日はペルー・リマ市でそれぞれワンマンライブを開催し、現地に集まった県系人らの前で熱唱し、感動させた。仲宗根に寄稿してもらった。

ブラジル公演でファンや現地の県系人らと一緒に記念撮影するHY(前列中央)=11月8日、ブラジル・サンパウロ市

 11月6日。私たちは、ずっと前から楽しみにしていた南米ツアーに旅立った! ブラジル、ペルーなどまだ行ったこともないその場所に、私は少しの不安と大きな期待を胸に飛行機に乗ったが、最初の試練はすぐにやってきた。そう、エコノミー症候群である。狭い飛行機に長時間乗っているため、体のあちこちが痛かった。まずは、ブラジルに向かうだけで20時間以上かかった。20時間と口では簡単に言うが、実際に経験してみると楽なことではない。この時、すでに私の頭の中には故郷の沖縄に帰りたいであろうブラジル、ペルーのおじぃやおばぁも、これではなかなか帰ってくることは簡単なことではないんだと痛感した。

 そんなこんなで7日、ブラジルに到着! 空港に着いた瞬間ブラジルの陽気さが伝わってくるような明るい声で盛大に迎えられた。まず、メンバー一人一人に皆さんがハグをしていく。私はハグが好きなのでその歓迎はうれしかった! その日はライブではなかったのだが、だいぶ盛りだくさんのスケジュールのため、慌ただしくホテルへ着くと、そこでもたくさんの人が帽子やフリフリを持って、待っていてくれて、「HY! HY!」とコールがやまない。よく見ると、ロビーやエレベーターにまで私たちの写真が展開される歓迎っぷりで、時差ぼけと、長旅の疲れもその瞬間どこかへ消えていった。

 夕方、日系ブラジル人の方に取材を受けたのだが、亡き父によく似ていたので写真を撮ってもらい、うれしかった。まさかブラジルでお父さんに会えるとは思わぬプレゼントをもらえた気分だったが、お父さんにこの地で何をすべきか「考えなさい」と言われている気がして、より一層、身が引き締まる思いで翌日のライブに挑もうと思えた。

 いざ、ライブ当日の8日。ブラジル公演、初めてにもかかわらず、本当にたくさんの方々が来てくれて、おじぃ、おばぁも足を運んでくれていた。戦争で亡くした命、生かされた命を歌った、「時をこえ」。故郷は、いつまでも変わらずそこにあるから、離れた地にいても頑張りなさいという気持ちを歌った「帰る場所」。その歌を聴いて彼らの目から流れていた涙。私には、想像できない苦しみと悲しみ、そして喜びもあっただろう。そんな思いが言葉が伝わらなくても、心が見えなくてもひしひしと伝わってきた。「あぁ、この歌を作って良かったな」と心から思えた瞬間だった。

 ブラジル公演は大成功だった。その日の夜にはペルーに向かいはじめていた私たち。身体は疲れていたが、ものすごい充実感があった。
 (仲宗根泉、HYキーボード・ボーカル)