伝統140年の大綱引き、戦後初の中止 本部町で6年に1度開催 神事で延期もできず


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戦後2度目の大綱引き。会場の海洋道路は区民らで埋め尽くされた=1955年、本部町渡久地(県公文書館所蔵)

 【本部】「ワッショイワッショイ!」―。町を活気づける掛け声が今年は聞けない。新型コロナウイルス感染拡大が伝統行事の開催に影響を及ぼしている。沖縄県本部町渡久地区では10月4日に6年に1度の大綱引きを予定していたが今月15日、中止を決めた。実行委員長の中曽根義人区長(71)は「伝統を途絶えさせるのは忍びないが、やむを得ない」と断腸の思いだ。

 渡久地区では旧暦8月15日ごろ、子(ね)年と午(うま)年に綱引き、卯(う)年と酉(とり)年に豊年祭と3年周期で行事を開催する。少なくとも140年以上続いているこの伝統行事は、戦争以外で中止したことはない。戦後は1946年、復員した男性らが「ヌチヌスージ(命の祝い)」として豊年祭を行い、綱引きも49年に復活した。

大綱引きに向けて稲わらを編む綱打ちの作業に追われる区民=2014年9月、本部町渡久地

 綱引きの準備は4カ月前に始まる。郷友会や事業所に寄付を呼び掛け、金武町屋嘉から取り寄せた稲わらを区民総出で綱打ちする。綱引き前の「シタク」で対決する牛若丸(東)と弁慶(西)役の若者は3カ月かけて型を教わり、区民は道ジュネーの練習に励む。

 しかし今年は“3密”回避で集まることもままならない。飲食店なども軒並み休業し「とても寄付は頼めない状況」(中曽根区長)だ。神事のため来年に延期できない。年内延期もわらが保存できず困難だ。悩んだ末の中止決定だった。

 会場となる海洋道路沿いの電器店「渡久地ラジオ」で生まれ育った宮城やよいさん(63)=町大浜=は「綱引きは区民の血が騒ぐ行事。皆でわらを編む工程から作り上げ、戦いの数十秒間に最高潮に達する」と愛着を語り「何とか開催できないものか」と諦めがつかない。前回、牛若丸役を務めた安田択さん(35)は「物心ついた時から父と一緒に綱を引いてきた。ショックだが、次回またいい綱引きをするしかない」と語った。

 実行委員会は10月4日、御願だけを行う予定だ。同日まで「渡久地ラジオ」で大綱引きの写真展を開催する。
 (岩切美穂)