レイシ鈴なり3000個 宜野湾・天久さん宅、慰霊の日に収穫、お供えに


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実が鈴なりになったレイシの木の前で笑顔を見せる天久英眞さん(右)と雅子さん夫婦=6日、宜野湾市大謝名

 【宜野湾】宜野湾市大謝名に住む天久英眞さん(81)と雅子さん(79)夫婦宅にあるレイシの木が、約3千個の実を鈴なりに付け、道行く人の目を楽しませている。みずみずしく甘酸っぱい実は、台風が来た時などは収穫できないこともあったが、今年は豊作の見込み。熟する頃の慰霊の日に収穫し、太平洋戦争で亡くなった義理の兄ら家族の仏壇にお供えする。

 実がたわわになっているレイシの木は、約35年前に1代目から取り木した2代目だ。自宅2階に及ぶ高さがあり、実が付いた枝は大きくしなっている。

 英眞さんによると戦前、宜野湾村が栽培を推奨していたレイシを、村役場に勤める叔父が持ってきて大謝名の自宅に植えた。実が付く頃に沖縄戦が始まり、6歳の英眞さんは実を食べることなく嘉数高台方面に家族と逃げ、その後米軍に保護された。

 自宅に戻ると、茅葺きの自宅とレイシの木は焼けて無くなっていた。その後、20代の英眞さんがやんばるを訪れた際、レイシの木を見掛けて「子どもの頃を思い出した」ことから、農園で購入して再び植えた。

 半世紀以上にわたって育て、地域で「レイシと言ったら天久」と言われるほどになった。しかし老朽化した自宅は今後壊し、隣のレイシの木も伐採される予定だ。雅子さんは「木も切られることが分かって、こんなに実がなっているのかな」としみじみ話す。

 地域のトレードマークは将来なくなってしまうが、英眞さんは「今後は土いじりをして、ブドウやトマトをやろうと思っている」と前向きだ。戦争を乗り越え半生を共にしてきたレイシを味わいつつ、新たな目標を掲げる。
 (金良孝矢)