第32軍壕「見せてほしい」「平和行政の一環」 元学徒ら公開要望


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 琉球新報と沖縄テレビ放送、JX通信社の戦後75年の県民意識調査で、首里城地下の第32軍司令部壕を「保存し、公開すべき」が74・16%で最多となった。沖縄戦に動員された元学徒などからは「玉城県政には平和行政の一環として、どうしても保存し公開してもらいたい」など、壕の保存と公開を強く求める声が上がった。

 名桜大前学長の瀬名波榮喜さん(91)は、沖縄県立農林学校在学中の16歳で沖縄戦が始まり、米軍の砲弾にさらされ、多くの同級生を動員で亡くした。玉城デニー知事が第32軍壕の継承で動画やVR(仮想現実)の技術活用に前向きなことに「写真や仮想現実による公開で、満足ということは絶対にない。実際に壕の中に入って追体験することでしか戦争の恐ろしさは分からない。VRでは平和の構築に力はない」と強調した。

 1996年、瀬名波さんは県の「第32軍司令部壕保存・公開検討委員会」の委員長として壕の公開を決めた。「当然、方針は引き継がれていると思っていたら、ほったらかされてしまった」と振り返り、玉城県政での保存と公開を求めた。

 元県立一中の山田芳男さん(89)は「絶対に残すべきだ。壕の中には慰安婦もいたというが、どのような区割りになっていたのか、詳しく見せてほしい」と要望した。県民意識調査では、沖縄戦で得られた教訓で「軍国主義・徴兵制の恐ろしさ」との回答が若い世代で低かった。山田さんは「戦場の悲惨さ、むごたらしさをわれわれは経験したが、若い世代には理解しにくいだろう」と指摘する。「先生方も教えるためにはもっと勉強してほしいし、平和の催しなどに若い世代がもっと参加し、生き残った方々の体験や思いを聞いてほしい」と求めた。

 元昭和高女在学中に看護要員として動員された吉川初枝さん(92)も、学校や行政を通じた継承の取り組みを求めた。

 70代以上では沖縄戦の教訓に「軍国主義―」を挙げた割合が高かった。元昭和高女の上原はつ子さん(91)は「沖縄戦と戦後の米国統治下を体験した世代では複雑な心境が今もある」と打ち明けた。自身も「国のため、天皇のためいつ死んでもいいという気持ちで(戦争に)参加したが、なんであんなこと言ったんだろうと非常に後悔している」と語る。戦後、米国による軍事占領を望む「天皇メッセージ」について「今の時代の天皇はどう思っているのか。一言わびてほしい」と話した。


「戦跡と地域、新しい平和学習に必要」新城俊昭・沖縄大客員教授

 

新城 俊昭氏(沖縄大客員教授)

 首里城地下に造られた日本軍第32軍司令部壕については、行政が保存して公開・活用する方向で考えるべきだ。沖縄戦の本拠地であって、沖縄戦を考える貴重な場所になる。保存するだけでは意義が伝わらない。首里城近くに資料館を建設し、32軍壕がどんな役割を果たしたかを学ぶ場所にすべきだ。糸満市摩文仁ではなく実際に存在した場所に整備し、沖縄戦を考える場所として活用した方がいい。

 県民意識調査では、沖縄戦継承のため「学校現場での取り組みが必要」が43・34%と高いが、学校現場に頼りがちになっている。学校だけだとうまくいかない。地域の連携が非常に重要になる。戦跡は各地域にある。地域の戦跡で学ばせ、地域住民と連携したシステムが重要になる。学校は転勤もあり、先生方も入れ替わっていく。家庭で戦争を語ってくれる人が少なくなる中、地域と連携していかないと平和学習は難しくなる。学校任せにせず、戦跡と地域が一緒になってできるような新しい教材作り、平和学習が今後は必要になる。

 これからの10年がとても重要な意味を持つ。戦争体験を語れる人が極端に少なくなる。戦後世代は証言を聞いても、沖縄戦について理解できないところがある。戦争体験の聞き取りができる貴重な10年間で、戦争体験者と戦跡保存の在り方・活用を一緒に考えていく、そうした努力が必要になってくる。
 (琉球・沖縄史教育)