世論に押され知事決断 32軍壕保存・公開検討委 「戦争と平和学ぶ貴重な場」


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 玉城デニー知事は26日、第32軍司令部壕の保存・公開を検討する委員会を新たに設置する考えを明らかにした。首里城再建の動きや戦後75年の節目に伴う、司令部壕の保存・公開を求める世論の高まりに背中を押され、政治決断に至った。

第32軍司令部壕の保存・公開を玉城デニー知事(右)へ要請する城間幹子那覇市長=26日午後1時半ごろ、県庁

 司令部壕の保存や公開を巡っては、県政が代わると対応が変遷してきた経緯がある。大田県政だった1997年に県は司令部壕の保存・公開基本計画を策定した。壕内の坑道は崩落の危険があり、新たな坑道の掘削案も検討された。工費の試算は約30億円に上った。

 98年に稲嶺恵一知事の誕生で県政が交代すると、整備や公開に向けた取り組みは実質停止した。安全性の確保が困難で、整備に膨大な費用が必要との理由で、県は「壕の一般公開は行わない」として保存・公開を断念した。

 県は4月に示した首里城復興基本方針で「歴史の継承と資産としての活用」の項目の「平和を希求する『沖縄のこころ』の発信」の位置付けに司令部壕も明記。IT技術を用いて内部の公開を検討するとしていた。だが県民の中には現場公開を求める声は根強い。琉球新報が沖縄テレビ放送、JX通信社と合同で実施した県民意識調査では、司令部壕を「保存し、公開すべきだ」という意見が74・16%に上った。

 県によると、こうした世論の高まりを受け、戦争体験者の話も聞く中で知事の戦争遺跡保存への認識は深まっていったという。玉城知事は要請で「悲惨な沖縄戦の語り部が減っていく中で、一つでも残せるものは残し、(司令部壕は)戦争と平和について学ぶ貴重な場所だ」と強調した。

 首里城の復元に合わせた司令部壕の保存、整備について、県幹部は戦後80年の節目に向けて「技術的にハードルは高いかもしれないが、最後のチャンス」と捉える。別の県幹部は「とにかく予算をかき集めて、補正予算を組んででも、というくらいの気持ちだ」と、一時断念した保存公開に向けて動き出す姿勢を見せた。

 (座波幸代、伊佐尚記)