古里は那覇空港の中「故郷の思い後世に」 旧大嶺集落「ともかぜ振興会館」開館へ


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「ともかぜ振興会館」の屋上で、旧大嶺集落に自生していた植物を植える会員ら=6月27日、那覇市金城

 戦前、現在の那覇空港の場所にあった旧大嶺集落の文化や歴史を後世に伝える「ともかぜ振興会館」が8月29日にも、沖縄県那覇市金城に開館する。土地を日本軍に那覇飛行場用地として接収されて77年。旧大嶺にゆかりのある人たちでつくる「ともかぜ振興会」(金城栄一会長)のメンバーらが6月27日、集落の風景をイメージした植物の植え付け作業に参加した。

 旧大嶺集落の土地は1943年に日本軍に接収され、戦後は米軍用地、日本復帰後は国有地になり、現在は那覇空港として利用される。未解決のままとなっていた旧那覇飛行場用地問題の戦後補償として、地主会と那覇市などが会館建設に向けて調整を続けてきた。市は特定地域特別振興事業補助金や一般財源などで会館を建設した。

 金城会長(79)は「満足のいく解決はない。せめて会館を通じて、僕たちの故郷を残し、思いを伝えていきたい」と考えている。

旧大嶺集落の戦後補償として建設される「ともかぜ振興会館」。集落をモチーフにした赤瓦のあずまやが特徴的だ

 「ともかぜ」は、帆船の追い風となる「艦風(とぅむかじ)」のように、旧大嶺の先祖から励まされて発展していこうとの願いを込めて、金城会長らが名付けた。会館は市の乳幼児健診にも利用し、市無形民俗文化財の「字大嶺の地バーリー」や「字大嶺の獅子舞」などの発信拠点にもする予定だ。

 3月末には海岸のサンゴを敷地内に埋めた。今回は、赤瓦のあずまやが並ぶ屋上で「失った故郷への思いを呼び起こせるように」と、大嶺に自生していたオリヅルランやヒメキランソウなど数種類の苗を植えた。大嶺出身の當間實光(じっこう)さん(77)は、今年3月に「生活の場」だった地先の海に開業した、那覇空港の第2滑走路を複雑な思いで見詰める。「大嶺の先祖が親しみ、なりわいの場にした海まで消えてしまった。沖縄の発展にはやむを得ないのか」と今も悩みながら、ゆっくりとした手つきで苗を植え付けた。

 7人きょうだいの末っ子で、兄たちから大嶺の話を聞いて育った金城会長。会館の計画に携わり、字誌を制作する中でも故郷への思いは強まるばかりだった。金城会長は「戦後補償という本質は忘れてはいけない。故郷大嶺集落の文化を発信し、愚かな戦争を繰り返さないよう平和の文化を次世代に伝えていく」と決意を込めた。
 (大橋弘基)