「緑十字機」の歴史知って 降伏使節団乗せた「平和の白い鳩」 伊江島で講話


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 【伊江】1945年8月、太平洋戦争の終戦手続きを担う日本の降伏調印使節団を乗せて伊江島に降り立った「緑十字機」について学習しようと、7月30日、伊江小学校(小波津京子校長)の5、6年生38人を対象に、伊江村議会の渡久地政雄議長が講話した。29日は西小学校(宮城康人校長)の6年生にも講話した。

緑十字の機体の破片の一部や硬貨を調べる児童

 緑十字機は、ポツダム宣言受諾を受けて連合国が降伏手続きのため飛行を認めた日本の軍用機。攻撃を受けないよう機体を白く塗り緑の十字を描くよう指示された。

 使節団は降伏調印の事前協議を行うため、フィリピン・マニラに向け8月19日に千葉県の木更津飛行場をたち、中継地の伊江島で米軍機に乗り換えた。

 渡久地議長は映像を見せながら「緑十字機は現在の米軍の補助飛行場跡地に降り立った。当時、村民は慶良間諸島に強制移動させられていたため、緑十字機についてほとんど知らなかった」と説明した。

 マニラから戻った使節団を乗せ、同機は20日、伊江島から東京に向けて飛び立ったが、同日深夜、機体トラブルで静岡県の鮫島海岸に不時着し、住民が救護活動に当たった。

 静岡県磐田市鮫島の市民団体「緑十字機の不時着を語り継ぐ会」が今年1月、伊江村を訪れ、機体の破片の一部と記念硬貨を村に寄贈した。硬貨はマーシャル諸島共和国で発行され、緑十字機の機体と伊江島のシンボルの城山(ぐすくやま)が描かれている。

緑十字機について説明する渡久地政雄議長=7月30日、伊江小学校

 渡久地議長は「緑十字機は『平和の白い鳩(はと)』と呼ばれ終戦を伝える重要な役割を果たしてくれた。伊江島は『沖縄戦の縮図』と呼ばれ激戦地だったが、緑十字機の存在も一緒に覚えていてほしい」と語った。

 小那覇蓮斗さん(6年)は「緑十字機について初めて知り、伊江島に降り立ったと分かって驚いた。戦争について正しい知識を身に付け、戦争のない世の中にしたい」と感想を述べた。

 村教育委員会では8月下旬に、伊江港近くにある伊江島はにくすに郷土資料館で緑十字機の企画展を開催する予定。

(金城幸人通信員)