「海が赤く染まった」伊江島米軍LCT爆発72年 遺族ら鎮魂の祈り


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慰霊碑に向かい手を合わせる参列者=6日、伊江村の被爆慰霊碑(金城幸人通信員撮影)

 【伊江】1948年8月6日、伊江島で起きた米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故から6日で72年となった。同村の被爆慰霊碑前で開かれる予定だった慰霊祭は、新型コロナウイルスの感染防止のため開かれず、島袋秀幸村長や戦争体験者らが慰霊碑を訪れ、それぞれ鎮魂の祈りをささげた。

 当時、戦後最大となる107人の死者を出した同事故。小学5年生で、母の弟の妻ら2人が犠牲となった知念シゲさん(82)=村西江前=は「この場所に来ると当時の記憶が昨日のようによみがえる。現場は戦争以上に悲惨な状況で、海は遠くまで赤く染まっていた」と涙を流した。元村長の島袋清徳さん(82)=村西江前=は新型コロナの影響を懸念して自宅で黙とうをささげた。「直接行けないのは大変残念。いまだに戦争の傷痕が癒やされておらず、複雑な思いになる」と語った。