沖国大ヘリ墜落16年 滞る負担軽減会議、新たな目標も設定できず


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 沖縄国際大学に米海兵隊CH53D大型ヘリコプターが墜落した事故から16年が経過した。政府が県に約束した米軍普天間飛行場の「5年以内の運用停止」は2019年2月に期限が切れ、新たな目標設定も宙づりのまま。国と県、宜野湾市が負担軽減策を話し合う「普天間飛行場負担軽減推進会議」の開催は滞っており、新型コロナウイルス感染症対策も相まって次回の開催めどは立っていない。

 今年に入ってから在沖米海兵隊2基地で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した。その一つが普天間飛行場で、生活圏を共有する周辺住民を不安に陥れた。米本国から異動してきた兵士がウイルスを持ち込んだ可能性があり、基地と隣り合わせの生活の危険性が改めて浮き彫りとなった。

 ヘリ墜落や部品落下など「空からの危険」も感染症の移入も、金網1枚を隔てて日本の国内法が通じない区域が存在することに起因している点で同根だ。

 県や宜野湾市は負担軽減推進会議の定期的な開催を要望している。開催が滞っている理由について、玉城デニー知事は「(主催する)国の調整状況による。新型コロナ対策にも追われ、各機関が非常に厳しい状況もあるだろう」と述べて政府をおもんぱかった。コロナ対策と両立する手法としてインターネットを利用した遠隔開催を案として挙げた。県は今後、政府側に提案する見通しだ。

 開催が引き延ばされているのは新型コロナが流行している今年に限ったことではない。負担軽減推進会議が発足した14年当初は仲井真県政で、1年に3回の会議が開かれ、全て安倍晋三首相が出席していた。辺野古移設阻止を明確にした翁長県政からは頻度が急落。安倍首相は出席せず菅義偉官房長官が政府側トップとして席に着くようになり、翁長前県政の約4年間で開催は1回だけだった。

 玉城県政以降の開催は19年4月の1回のみだ。下部組織の作業部会も19年9月を最後に開かれていない。関係者によると、会議と会議の間が空くと、過去の協議の振り返りと今後の方針の確認に時間がかかる。結果、議論を深めにくい。

 19年2月に「5年以内の運用停止」の期限は切れた。松川正則市長は新たな目標設定を求めているが、議論は進んでいない。同会議の開催頻度が落ちるのと同時に、日本政府は普天間飛行場の危険性除去が進まない責任を県政に転嫁するようになった。だが辺野古新基地建設の現場では軟弱地盤の存在が発覚し工事は遅れ、少なくとも12年かかる計画だ。玉城知事は「辺野古移設への固執が普天間の返還を遅らせている」と主張している。
 (明真南斗)