Coccoさんが伝える役者だった祖父の戦争体験 “おなら”でつないだ命とは


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
祖父の真喜志康忠さんとCoccoさん。真喜志さんを「憧れていた」と語る=2003年、沖縄

 8月15日は終戦の日。県出身のアーティスト・Coccoさんは、重要無形文化財「組踊」の保持者で沖縄芝居の名優でもある祖父・故真喜志康忠さんから戦争体験を聞いて育った。祖父の経験を「自分が伝える」と胸に決めている。

 真喜志さんは1944年、満州に出征した。満州では、雪で埋めることができずに積み上げられた、兵士の死体の見張り番をしたと、Coccoさんに話したことがある。45年には捕虜としてシベリアに抑留され強制労働を課された。

 Coccoさんによると、栄養失調で動けなくなった真喜志さんを遺棄しようと兵士が持ち上げた瞬間、真喜志さんが大きな音で放屁(ほうひ)をした。「よれよれになったじいじが、しに(とっても)大きいおならして『腸が動くんだ。ちょっと残そう』となったって」。真喜志さんは「おならをしたから、お前たちがいるんだぞ」と家族に話していたと、Coccoさんは振り返る。

 瀕死(ひんし)の状態で遺棄される直前の出来事を、役者ならではの軽妙な語り口で家族に伝えた祖父。Coccoさんはその姿に「伝え方」のヒントも感じている。「『こんなにむごかったんだよ』と(聞く人の)耳をふさがせるのではなく、小さなハプニングに戦争の忘れてはいけないエッセンスを入れ込んで、人が受け入れる話にしている」と指摘した。

オンラインでの取材に応じるCocco=7月28日

 Coccoさん自身も「その話を思い出すたびに、慰霊の日に学校の図書館とかで見たむごい写真も一緒に思い出せる。だから戦争が風化しない」と感じている。

 戦争体験者の高齢化で記憶の継承が課題となる。Coccoさんは自分の息子に語り継いでいる。「みんな誰かのお母さんになったり、おばさんになったりする。自分が受け取った話としてぶれずにしゃべれるのは、自分の手が届く範囲だ。近しいところでコツコツやることだと思う」と話した。 (田吹遥子)

    ◆    ◆

戦争の話を一度しか語らなかった祖母とのエピソードなど、Coccoさんのさらに詳しいインタビューは、ラインニュース特集に掲載しています。