犠牲1484人忘れない 対馬丸撃沈76年 コロナで慰霊祭縮小


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対馬丸撃沈から76年、犠牲者の冥福を祈る遺族や関係者=22日午前10時33分、那覇市若狭の小桜の塔(大城直也撮影)

 太平洋戦争中の1944年、児童や一般の疎開者を乗せた対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、22日で76年を迎えた。対馬丸記念会は同日午前10時から、那覇市若狭の旭ケ丘公園にある小桜の塔で慰霊祭を開いた。新型コロナウイルスの影響で例年より規模を縮小、異例の開催となった。船の汽笛の音が流れる中、犠牲となった1484人に祈りをささげ、平和を願った。

 生存者で、家族9人を亡くした遺族でもある対馬丸記念会の高良政勝理事長(80)は、関係者が少なくなる中で規模を縮小して慰霊祭を開催したことに触れ「犠牲者の皆さん、どうぞご理解ください」と語り掛けた。同時にコロナの影響で記念館の来館者が減少していることから「このままでは記念館の維持が危ぶまれる」と危機感を示した。

 慰霊祭には例年数百人が集まるが、今年は生存者や遺族ら約30人に絞った。来賓あいさつなども割愛、つしま丸児童合唱団による合唱も見送られた。慰霊祭後に一般焼香が行われ、約300人が参列した。

 広島県でも慰霊祭が開かれ、沖縄とネット中継でつなぎ、対馬丸に乗船予定だった梅本テル子さん(84)=広島県在住=があいさつ。「敵の魚雷を受けて船底で阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中、息絶えていった友だち。戦争が起こらぬようしっかり見てまいりましょう」と誓った。

 対馬丸は国民学校の児童や一般の疎開者1661人を含む1788人を乗せ、1944年8月21日、那覇港から長崎に向けて出港。翌22日午後10時12分、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、同23分に沈没した。学童784人を含む1484人が犠牲になった。

 対馬丸記念館は29日まで臨時休館中だが、ことしは新たに犠牲者9人の遺影が掲示された。