「強制集団死」生き延びた宮城恒彦さん死去 86歳、座間味出身 戦後証言活動に尽力


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 沖縄戦中、座間味村で起きた「集団自決」(強制集団死)を生き延び、証言収録活動や平和講演などを続けた宮城恒彦(みやぎ・つねひこ)さんが、21日午前2時10分、肺炎のため豊見城市内の病院で亡くなった。86歳。座間味村座間味出身。22日に豊見城市の自宅で、近親者で葬儀を執り行った。

 宮城さんは1945年3月26日、11歳のときに、家族と一緒に逃げ込んだ壕で「集団自決」(強制集団死)に巻き込まれ、姉の宮平ハルさん(当時19歳)を亡くした。宮城さんは戦後、ハルさんを失ったことを悔やみ、自分を責め続けた母親・ウタさん(享年91歳)を前に体験を語れなかったが、ウタさんの他界後に初めて語った。

 中学校教師として教壇に立ち、85年から小学校校長を務めた。88年からは戦争体験者から証言を聞き取り、89年から全28冊を発行した。告別式は三七日(みなんか)の9月10日、もしくは五七日(いちなんか)の9月24日に執り行う予定。喪主は妻美代子(みよこ)さん。