米・毒ガス移送の道路建設費 日琉の資金で撤去を画策


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第1次移送で毒ガス兵器を搬送するトラック=1971年1月13日(県公文書館所蔵)

 【中部】1971年7~9月に実施された米軍知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫地区)からの毒ガス兵器2次移送のための道路建設費について、米側は琉球列島米国民政府(USCAR)の一般資金で負担することを検討していた。識者は「資金の源泉は琉球列島における経済活動で、元々は沖縄住民から得た収益だ」と指摘。米国民政府は、米軍が秘密裏に持ち込んだ毒ガスにもかかわらず、日本政府や沖縄住民から得た資金を撤去費用に充て、解決を図ろうとしていた実態が浮き彫りになったと強調する。 (当銘千絵)

 20万ドルに及ぶ道路建設費を巡り、米国民政府は一切の拠出を拒み、日本政府に支出を求めたが、水面下では日本側に拒否された場合に備えて一般資金から全額を捻出する検討を進めていたことが、71年の米陸軍省の公電により判明している。当時の山中貞則総務長官の申し出に端を発し、最終的には日本政府が全額負担することで決着した。

 そもそも一般資金の原資は、米国からの占領地域救済政府資金(GARIOA)による援助物資の売上代金や、沖縄住民に石油や電気などを販売して得た事業活動による収益が大半を占めていた。米国統治下の沖縄財政に詳しい池宮城秀正明治大名誉教授は「米国民政府は一般資金に基づく支出を琉球列島に対する経済援助とみなしていたが、原資をたどれば決して援助と言えるものではなかった」と強調する。

 また同氏は、沖縄返還交渉時に米国が本来支払うとしていた返還軍用地の原状回復費約400万ドルを日本政府が肩代わりした密約を例に挙げ、費用負担や日米のパワーバランスなどの背景が毒ガス移送と酷似していると指摘する。その上で米国は巧みな交渉と心理作戦を用い、自らの負担を極力回避していたとし、「日米政府は国益を優先し、沖縄の要求を置き去りにしてきた」と述べた。