「いつか同じチームでプレーしたい」と熱い言葉を掛けてくれた二つ下の弟・成(なりと)(琉球ゴールデンキングス所属)と生まれたばかりの長女。2人の存在が、並里祐(たすく)=美来工科高―中部学院大出=をBリーグ再挑戦へと突き動かす原動力だ。33歳。昨季は選手契約を勝ち取れず引退も考えた。それでも「バスケ人生最後のチャレンジ」と奮い立ち、来季の契約をつかむため、沖縄を拠点に地道なトレーニングに汗を流している。
■劣等感を越えて
2010年にプロデビューし、14―15シーズンには浜松・東三河フェニックス(現三遠ネオフェニックス)でbjリーグ優勝を経験。その後もB2やB3で昇格を目指すチームを引っ張り、司令塔ガードとして技術、知識とも感触は「右肩上がりだった」。しかし昨季、コロナ禍で各チームの財政悪化が露呈し始めると、潮目が変わる。
B3佐賀との契約が終了し、自由交渉リストに載ったが、なかなか声が掛からない。プレーの質が落ちた感覚はなく、昇格を目指したり、若手を育てたりすることにもやりがいを感じていたが、そのまま昨秋のシーズン開幕を迎えた。「やる気がある半面、現状とのギャップがあった。落ち込んで、もう辞めようと思った」と引退を考えた。
翻意のきっかけは「兄弟であり、友人であり、ライバル」と唯一無二の存在である成だった。「いつか兄弟同じチームでやりたい。来季まで待って、もう一回挑戦したらどうか」。そう助言してくれた。二つ違いで諸見小、コザ中で同じチームだったが、チームメートとして一緒にコートに立ったことは一度もない。「心が動いた」
美来工科3年で出場したウインターカップで、福岡第一高1年の成は優勝し、大会ベスト5に。全国区となった弟と比べられ「大学くらいまではコンプレックスもあった」。それでも試合コントロールにたけた自身の強みを伸ばし、浜松での優勝で自信が芽生え、「彼の持ってないところが僕にはあるし、彼のいいところは吸収すればいい」と世間の声に惑わされることは徐々になくなっていった。今も互いのプレーを批評し合う仲。「弟がきっかけで、今まで以上にバスケに向き合ってやってみようと思えた」と顔を上げた。
■父として
再起を決意させた大きな存在がもう一人。昨年5月に生まれた長女だ。今、B1の選手とマッチアップしたとしても「通用する部分はある。もっと上でやれる自信はある」と感じる。「娘が大きくなって、壁にぶつかった時に簡単に諦めてほしくない。でも自分がここで諦めたら、説得力がない」。父としてのプライドが土俵際で引退を踏みとどまらせた。「やりたいなら、最後までやり切ったら」と理解してくれた妻への感謝も尽きない。「結果的に契約ができなくても、頑張ったことは胸を張って娘に言える」と熱く語る。
3月に沖縄で練習を再開し、今は週に4~5日、体育館を転々としながら個人ワークアウトで鍛錬を積む。Bリーグ球団の練習に参加する機会がいつ舞い込んでも「しっかり評価してもらえるように」と自身を追い込む。コロナ禍で82キロまで増えた体重は、1カ月ほどでシーズン中と変わらない75~76キロに戻った。
今後は再挑戦に理解を示してくれたバスケ専門店ステップバイステップ(那覇市)の協力で、バスケスクールで収益を得て活動していく。個人スポンサー探しも続けるという。エージェントを通すほか、自らでも球団に売り込み、夏ごろをめどに選手契約を目指す。
「40歳を超えて、もう一回やろうとしてもできない。これがバスケ人生最後のチャレンジ。とことんやり切りたい」。泥臭く、実直に。並々ならぬ決意を胸に、再び“B”の扉をこじ開ける。
(長嶺真輝)