<美と宝の島を愛し>人類の進化とオリンピック 種族から解放される歩み


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 ネアンデルタール人は、近年まで現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)とは異なる種とされてきた。今は亜種に分類する説が主流だ。それぞれの地で進化を遂げた両者は、中東、ヨーロッパで再び出会い、交配し、現生人類に遺伝子を残している。

 寒冷なヨーロッパで氷河期を生き延びた我らがマッチョな親戚ネアンデルタール人も、同じ古人類のデニソワ人も私たちに遺伝子を残している。現生人類は純血ではなく雑種だ。地球上から姿を消した古人類は、今も私たちの中で生きている。

 人間とは何か、その認識の原点がこの発見で根底から覆った。科学の発見が導いた革命だ。沖縄科学技術大学院大学に、ネアンデルタール人の遺伝子解析で著名なスバンテ・ペーボ教授が赴任していることもうれしいニュースだ。

 この大きな成果を知って以来、人種や国籍をアイデンティティーの揺るがない根拠の一つと考えるのがアホらしくなった。人種や国籍から解放された。人間を見る目が一変し、誰を見ても「気楽に行こうよ、わずか1万年ほど前のご先祖は、大型獣を狩り、獣の毛皮をまとい、洞窟の中でたき火を囲んで獲物を分かち合っていたのだから」と肩をたたきたくなる。1万年程度の歳月は、生物の進化にとって最近の話だ。

 聖火ランナーの掲げる火に人が集まるのも、居酒屋のともしびに吸い寄せられるのも、人類に備わった生存の本能が誘うのだ。

 競技者たちの恐るべき身体能力は、狩猟採集時代に大型獣を追い、敵から逃げるために進化した。危険な狩りから解放され、農牧畜の発明で人口増と長寿を獲得した人類は、都市を、そして国家というエゴイスティックで厄介な人工生命体を築いた。

 食料の生産はじめ仕事が専門化、分業化したために有り余る優れた身体能力を、スポーツ競技として専門化し、人々はそれを観戦してスリルを味わい、美技に魅了される。族長、王侯並みのぜいたくを観客は手に入れたのだ。近代オリンピックはそのように私は見える。

 聖火リレーの歴史はまだ浅く、始まったのはヒトラー政権下のベルリンオリンピックからだ。ヒトラーの思想が働いて生まれたということを頭の隅に置いて聖火リレーのニュースを見たが、パジャマみたいなダラッとしたユニフォームも、大げさなデザインの伴走車も、ずいぶん金をかけたものだ。清貧こそ国家の品格ではないのか。

 1988年7月14日、私たち夫婦はベルリンオリンピックの男子マラソン競技で優勝した孫基禎氏(当時は日本国籍で出場)と夕食を共にする得がたい機会を持った。その折、ベルリンでの雄姿を写したサイン入り写真が貼られた色紙をいただいた。私の大切な宝物だ。この夜の言葉少ない会話、孫基禎氏の穏やかなお人柄を思い出すと、日本が東アジアに侵出、多くの生命を失わせた戦争に突入し敗北した時代と同質の政治が、今もこの国を動かしていることに強い警戒心が湧く。

 バイデン政権と日本は、中国の人権問題や海洋進出を非難するが、米国は沖縄はじめ日本列島全体を足場に、とっくに海洋進出を果たしている。早い者勝ち、あるいは長期にわたって既成事実を積み上げてきた米国の戦略勝ちなのか。中国の帝国化には内政と多国間の外交両面での歯止めが必要だ。

 しかし中国は、自国の経済力を根こそぎそぐような戦争はしないだろう。米国もまた、多額の米国債を所有する中国とは戦争はしたくないはずだ。日本と中国が台湾有事を前提に、尖閣諸島を巡って角突き合わせ、小規模でも軍事衝突が起きるとしたら、日本は米国の代理戦争を担うことになり、米国は国連を通して仲介者の顔をしつつ、漁夫の利を得るかもしれない。

(本紙客員コラムニスト 菅原文子、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)