お疲れさま寛徳さん 衆参24年の活動に幕 地位協定改定できず「悔しい」


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家族や支援者らの出迎えを受け、24年間の議員生活を振り返る照屋寛徳前衆院議員=14日午後、那覇空港

 衆参両院で通算24年間、国会議員を務めた照屋寛徳さん(76)は、14日の衆院本会議を最後に政界を引退した。同日夕、那覇空港では家族や同級生ら約40人がサプライズで出迎え、「お疲れさまでした」と花束を手渡して長年の労をねぎらった。

 「さらば国会」、とばかりに14日の最後の本会議に臨んだ。議場に入ってわずか数分、万歳三唱で解散が決まると、続々出てくる議員は完全に選挙モードだ。「何で自分のクビが切られるのに万歳、万歳なのかね」。この儀式には最後までなじめなかった。

 振り返ると、国政へ一歩を記したのは1995年の参院選。「戦後50年の節目で、この国の民主主義を問うてみたいという決意もあった」。2003年から衆院沖縄2区で6回当選を重ね、社民党の議席を守り続けた。衆参の活動を通じて米軍による事件・事故などの困難が波状的に押し寄せ、議員生活は波乱の連続だった。

 中でも「一番悔しかったのは不平等、不公平極める日米地位協定の改定ができなかったことだ」と憤然として語気を強める。政治活動の根底にあり続けたのは「ウチナーンチュがいつまでも国策の犠牲にされ、差別されてはいけない」との信念だった。

 国政からは去るが「これからは僕も大衆運動、市民運動の中でみんなと一緒に闘うよ」と、遺恨を晴らす次の場を見据える。