沖縄戦後1カ月「ウルマ新報」創刊号を寄贈 古美術商・翁長さんが琉球新報に


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翁長良明さんが保管していたウルマ新報の創刊号=那覇市内

 那覇市牧志で古美術商「なるみ堂」を営む翁長良明さん(73)が、1945年7月26日に発刊された琉球新報の前身となる「ウルマ新報」の創刊号などを新たに確認し、このほど琉球新報に寄贈した。当時は週刊で発行され、8月22日発行の第5号までは「ガリ版」と呼ばれる謄写版で印刷されており、希少性が高い。翁長さんは「テレビは放送されたら終わりだが、新聞は取っておける。いつでもあの頃を思い出させてくれる」と新聞ならではの力を語る。

 ウルマ新報は沖縄戦の組織的戦闘が終結して間もなく、収容地区があった石川で産声を上げた。

 日本の降伏前で、「米英連合艦隊日本本土を砲撃す」と題した記事や、フランス、イタリアの対日宣戦布告、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン・ソ連首相による「ポツダム会談」が開かれていることを報じた。

翁長良明さん

 米軍占領下での発行となり、連合国の包囲が強まり、日本が追い込まれている国際情勢を伝えた。

 創刊号だけ題字がないのが特徴で、翁長さんは「当時の混乱を映し出している」と話す。収容所で苦しい生活を送っていた多くの県民にとって、新聞は重要な情報源となった。

 当の翁長さんは、創刊号を入手して以来、ほとんど目を通していない。光や温度、湿度の変化で原紙が劣化するのを避けるためだ。「紙が破れるより、指をけがした方がいい」と話すほど、新聞を大切に扱ってきた。各種新聞約300紙をコレクションしているが、その中でも創刊号は「一番のものだ」と誇る。

 翁長さんは琉球新報新聞博物館の開館時にもウルマ新報などを多数寄贈している。岡田輝雄新聞博物館長は「新たに原紙が出てきたのは貴重だ。大切に保管したい」と語った。