普天間と二重苦「声届ける」 宜野湾・北中城の原告 上空飛行、事故不安も


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嘉手納爆音訴訟に参加する高山美雪さんの後ろで旋回する嘉手納基地の戦闘機。宜野湾市は普天間飛行場の騒音にも悩まされている=20日、宜野湾市伊佐

 高山美雪さん(47)は第1子の妊娠を機に2013年、育児環境を考えて糸満市から夫の実家がある宜野湾市伊佐に移り住んだ。「正直、こんなにうるさく、こんなに低く飛んでいるとは思いもしなかった」。一番苦労したのは生まれたばかりの赤ちゃんの寝かしつけだった。母乳育児だったため、休息時間も少なく、授乳後に満足した赤ちゃんがようやく寝ようとしたところ、爆音が襲う。重低音で子どもが難聴にならないかという不安と、わずかな夜の休息時間を奪われるストレスに耐えた。

 嘉手納爆音訴訟には第4次となる今回初めて、宜野湾市からの原告が加わった。嘉手納飛行場と普天間飛行場という県内にある米軍飛行場の「二重苦」にあえぐ地域だ。嘉手納の戦闘機による耳をつんざくごう音だけでなく普天間のヘリやオスプレイの重低音が響く。

 先日、高山さんが大阪の友人と電話中、戦闘機が上空を通過した。爆音は通話相手にも伝わり、友人は「え、何、今の音」と驚いていた。テレビドラマを見ているとせっかくの山場でせりふが聞こえなくなるなど、小さなストレスの積み重ねも多い。「一瞬の我慢」と考えても、自宅上空は数分おきの旋回が一時間近く続くこともある。

 高山さんは今回初めて嘉手納爆音訴訟に参加した。義父母や夫、2人の子どもも原告に名を連ねた。「同じ市内では小学校や保育園への米軍機の部品落下事故も起きた。子どもたちの生活を守ってほしい。仕事など普段の暮らしもあり、訴え続けることはできないが、訴訟に参加することで地域の声を国に届けたい。何十年も騒音が変わらなくても、声を上げないと変わらない」と決意を語る。

 毎日の朝夕、北中城村比嘉にある山野進さん(71)の自宅には、南西にある普天間飛行場と北西にある嘉手納基地から始業や終業を示すラッパの音が響き、山野さんは不快感に包まれる。だが実際はこのラッパが鳴る前や後にも、米軍機がごう音を響かせて自宅上空を飛行し、事故への不安も交わる。ここも同じく嘉手納と普天間の「二重苦」にあえぐ地域だ。

 早朝や夜中にも風向きによって嘉手納基地からエンジン調整音が響いたり、普天間の輸送機が「機体の腹が見えるほど」の低空飛行で上空を飛行したりする。「静かな夜を返せではなく、少なくとも静かな夜を返せという思いだ。日常の不安を取り除きたい」。

 比嘉に住んで30年。騒音被害が軽減した実感はなく、「むしろこの10年は特にうるさい」。台湾海峡問題や米中対立などで、米軍の訓練は激化する一方だというのが実感だ。「国は騒音を訴える住民に『危険への接近』だと主張してきたが、緊張を抑える努力をせず、住民は騒音被害に悩まされ続けている。そっちこそ危険への接近ではないかと問い掛けたい」。妻と共に、初めて原告に名を連ねた。(島袋良太)