「復帰50年特別号」作成の舞台裏…琉球新報が伝えたかったこと【WEB限定】


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 琉球新報が沖縄の日本復帰50年の節目に当たる15日に発行した特別編成号が反響を呼んでいる。特別号では、50年前の1972年5月15日付琉球新報1面を復刻し、その紙面と同じ横の主見出し「変わらぬ基地 続く苦悩」を付けて現在も変わらない沖縄の基地負担を指摘した。当時の縦見出し「いま 祖国に帰る」は「いま 日本に問う」とした。発行後、県内外から取材や問い合わせがあったため、発行に至った社内での経緯や議論を17日付で紹介した。デジタル版では、発行に至るまでの裏舞台も紹介する。(琉球新報編集局次長兼報道本部長・新垣毅)

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琉球新報の15日付特別号「ラッピング紙面」

■「歴史に残る紙面」

 「歴史に残るような紙面をどう作るか、考えているか」。今年3月、ニュースの価値を読者に適切に伝える見出し付けと紙面レイアウトを担う整理記者の経験が豊富な編集局外の先輩から声を掛けられた。「いや、まだです」と答えると、「絶対にインパクトのある紙面作りの方法がある」と提案を受けた。それが1972年5月15日付琉球新報1面の復刻だった。復刻と同時に、沖縄の現状についても同じ見出しが付く紙面を制作し、並列して掲載することにより、沖縄の人々にとって施政権返還(日本復帰)50年の節目が到来しても、もろ手を挙げてお祝いできない心情が表現できるのではないか―。この提案を受けて、すぐに編集局三役で検討に入り、実現に向けて動き出した。

 復帰50年の節目となる紙面で、米軍統治下と復帰後の沖縄の50年の来し方を照らし出すスクープを打てないか―という議論を進めていた編集局の部長会は、50年前の紙面復刻をどう扱うかの議論を始めた。編集局三役の松元剛局長、新垣毅、金城潤の両次長は、①ラジオ・テレビ面を中に移し、1面と最終面を用いて、復刻版と沖縄の現状を照らす紙面を掲載する案②本紙を特別編成紙面で巻く形を取る「ラッピング」の手法で見せる案―の2案を検討した結果、ラッピングする案を推す方向を確認した。

15日付の特別編成紙面について議論するデスク会議のメンバーら=14日、琉球新報社

 模擬紙面を作るなどの課程を踏んだ4月上旬、編集局部長会に両案を提示すると、当初は出稿部、紙面制作を担う編成センターの部長らからはラッピングに反対する意見が強かった。理由は、「歴史的な日の本紙を特集面で巻くのはいかがなものか」「節目の日の紙面を価値ある記録として残す意味でも、ラッピングせず本紙で勝負した方がいいのではないか」という意見だ。この意見に賛同する部長たちは少なくなかった。 ただ、インパクトを考えると、ラッピングした方が驚きはある。ウクライナ情勢の大きなニュースなどを入れなくてはいけなかったり、独自のスクープがあったりすると、復刻とともに沖縄の現状に関する本記を入れるスペースが1面で十分にとれないという意見も出た。2週間にわたる議論の結果、本紙でスクープ記事が掲載されることを期待してラッピングする案でまとまった。

 大きな方針を打ち出した上で、紙面作りの核となるデスクやキャップを軸とする特別班を設け、本紙や沖縄の未来を見通す別刷り特集の内容など、紙面作りの骨格を固める作業を加速させた。4月中旬から24ページ建ての別刷り特集の制作を段階的に進めた。

米軍普天間飛行場=宜野湾市

■「祖国」か「日本」か

 復刻版と並ぶラッピング紙面の記事内容、見出しに関する詰めの議論は5月9日の紙面会議から取り組み、詰めていった。それまでの議論で、横の主見出し「変わらぬ基地 続く苦悩」は現状本記でもそのまま同じ見出しを付けることがすぐに決まったものの、復刻版の縦見出し「いま、祖国に帰る」については、「『いま、祖国に問う』かな?」という意見が出ると、すぐに複数の部長から異論が出た。「祖国? 日本でしょ!」

 その理由は、県民投票などで何度も米軍基地の整理縮小や新基地建設反対の民意を示しても、無視する日本政府、その政府を支える多くの日本国民がいる―という問題意識だ。50年前と異なり「祖国」と呼ぶことへの違和感が湧くほど、基地が集中する沖縄の現状は厳しい。

▼「特別な日」「素直に喜べない」…復帰50年沖縄各地の表情

 かつて沖縄出身の保守系政治家・西銘順治氏(1978―1990沖縄県知事在任)は「沖縄の心とは?」と問われ「やまとんちゅ(大和人)になりたくて、なりきれない心」と。今も語り継がれ、県民が抱いている感覚とも重なる。沖縄の問題を「自分ごと」として捉えてほしい、そのような願いも込めて「いま、日本に問う」とした。

  沖縄では、「やまとんちゅ(大和人)」と、「うちなんちゅ(沖縄人)」を区分けしたり、県外の人々を「ないちゃー(内地の人)」と呼んだりする習慣が根強くあり、県外の人々と心理的距離感を抱いている人々が少なからずいる。「日本」を「祖国」と見なせば、違和感を抱く県民読者も多いのではないか。違和感の源泉は、沖縄の声を届けようと、訴えても訴えてもヤマトに冷たくされ、苦しむような、そんなヤマトと沖縄の関係性が胸のうちに突き刺さっているような感覚だ。そのような感覚を「日本」という表現に込めた。

琉球新報の15日付特別号「ラッピング紙面」の裏面

■読者と共に考えたい

 現状についての本記は、編集局三役や宮城修論説委員長を交えて、練り上げた。沖縄県外でも15日付新聞を広く配布する予定だったことから、県外の人々にも伝わるような表現を心掛けた。共通した問題意識は「復帰50年をお祝いムードで終わらせてはならず、沖縄の現実をしっかり照らし出し、読者と共に考えたい」というメッセージを発信したいということだ。1年前から復帰50年関連企画が展開されてきたこともあり、復帰50年当日の特別編成紙面の取材、制作に携わった記者たちの誰もがそのような意識を持ち、紙面の方向性に関する共通認識を持てていたように感じた。 ラッピングの裏面は、県民50人の復帰50年に寄せる声を集め、「50」の数字をあしらうレイアウトで顔写真を配置し、コメントは見栄えがいい書体を用い、柔らかく見せる工夫をした。

 15日付の新聞が配られて以降、反響は大きく、「なぜこのような見出しを付けたのか」「紙面にどのような思いを込めたのか」などの取材や問い合わせが相次いだ。このため、17日付「ひと・暮らし」面(19面)で、「15日付本紙特別号の経緯/同じ見出し、変わらぬ負担/50年前の紙面復刻『基地押し付け』に異義」という見出しで経緯を紹介した。15日付新聞は全国会議員の議員会館内の居室に届け、全都道府県知事、全国の主要報道機関に郵送する作業を進めている。

 15日付の新聞は、本紙でも、復帰前の在沖米軍トップの高等弁務官が復帰前、沖縄に核を貯蔵していたことを明言したオーラルヒストリーを、米公文書館への情報公開請求で入手し、特報した。

▼復帰前「沖縄に核貯蔵」明言 高等弁務官の口述記録入手

 また2、3面では、1972年復帰の時に屋良朝苗琉球政府主席が政府に提出した建議書が、どれだけ実現したのかについて検証する特集を組んだ。ほとんど達成されていない現状を浮き彫りにした。さらに経済面トップで、県内国税徴収額が6年連続、振興予算を上回っていることを報じた。記事に対し「沖縄は基地がないとやっていけないと喧伝されているが、財政面でも国に逆に貢献していることは重要な事実」「琉球新報は、沖縄は国の予算に『おんぶにだっこ』状態にないことを的確に報じてくれた」との反応があった。

5月15日付琉球新報の別刷り「復帰50年特集」

■現状を変えるきっかけに

 国会の場で沖縄の課題に関与する機会がある衆参両院の全議員、全国知事会を通して沖縄の基地問題を討議してきた全都道府県知事、全国の主要メディアに送付することを意識して紙面を制作した。沖縄返還(日本復帰)後に、本土の基地は大幅に減り、沖縄も一応は減ったけれども減少幅が小さく、相対的に米軍専用施設の集中度が高止まりしたことについて示した記事も掲載した。

  本紙別刷り特集は24ページで、フロントは50年近く活躍してきた「おきちゃん」のジャンプで飾り、「プロの見通す復帰100年の沖縄経済」、食などの世替わりなどを特集した。

 15日の琉球新報を、沖縄県内外の多くの方々に読んでいただくことで、今なお基地の過重負担の不条理を抱える基地の島・沖縄への認識や関心を強め、沖縄の現状を変えるきっかけになってほしい。沖縄の現状を伝え、本土に問う特別号の本記原案を書くなど、紙面作成に携わった一人として、そして沖縄県民の一人として切に願っている。

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