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海上都市「アクアポリス」の懐かしの味伝え続ける イルカの皿もそのまま 名護市のレストラン「エメラルド」<世替わりモノ語り>12


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プチレストランエメラルドの川﨑壽店長=20日、名護市宮里

 1975年7月から半年間、本部半島を会場に開かれた沖縄国際海洋博覧会のシンボルとして人気を集めた海上都市「アクアポリス」。名護市宮里のプチレストラン「エメラルド」は、かつてアクアポリス内で洋食を提供していたレストランの流れをくむ。今でも当時の椅子やイルカのマークが入った皿を使い、歴史を受け継いでいる。

 店長の川﨑壽(ひさし)さん(69)は大阪府出身。75年2月、21歳の時に海洋博開催に合わせて商売を始めようと沖縄に来た。開幕前は、商機を当て込んだホテルや土産品店、飲食店などが盛んに進出してきた。川﨑さんも、本部町の会場周辺でざるそばなどの麺類を提供する店を出店した。

 当時は海洋博バブルで、「家も6畳ひと間で8万円かかり、とても借りられなかった」ため、名護から店に通った。

 しかし、いざ海洋博が開幕すると、想定とは全く違った。「ふたを開けたら盛況なのは会場だけでね。もうけようと自信たっぷりだったが大失敗だった」と笑う。

海にたたずむ海上都市「アクアポリス」=1991年11月6日、本部町の海上

 海洋博終了後の76年から、アクアポリス内の社員食堂跡を利用したレストランで1年ほど働いたが、赤字で店は閉店。後継店として、エメラルドを開業した。スパゲティやグラタン、ソフトクリームなどの洋食を提供し、夏休みや大型連休には、地元客や観光客でにぎわった。アクアポリス内に飲食店は1軒のみだったこともあり、経営は順調だった。

 印象的なのは台風だ。台風が近づくと施設は陸とつなぐ橋から切り離され、沖で待避する。常駐する職員のために泊まり込みで食事を作った。台風に耐えられる設計ではあったが、施設は波風をじかに受けるため、崩壊するのではと心配になるほど、ものすごい音がしたという。

 海に囲まれた職場ならではの楽しみとして、仕事の合間には海に潜り、魚やタコをよく捕っていた。

 アクアポリスは設備の老朽化や入館者数の減少から93年に閉館した。米国企業に売却され、スクラップとして解体されるため、上海に渡った。

 エメラルドもアクアポリスの閉館と同時に、現在の店舗に移転した。アクアポリスでコンパニオンを務めていたという70代の女性らが今でも訪れ、食事を楽しむ。スパゲティなど一部のメニューは味付けも当時のままで提供している。

 エメラルドを開業して45年。「半年間で帰るつもりが、こんなに長いことやるとは思ってなかった。体が動かなくなるまで頑張る」との覚悟でいる。

(中村優希)