復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月12日「戦争終結宣言せずに国交/日中共同宣言で構想」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月12日の琉球新報1面トップは、「公用地法適用、きょう通告/施設局、豊見城村に/未契約分、次々に処理/那覇市の市有地も」との見出しで、軍用地の契約に応じない地主への土地収用通告を豊見城村と那覇市の所有地から始める方針を紹介している。

 日中国交正常化に向けた動きの中で「政府、戦争終結宣言せずに国交/日中、共同宣言で構想」との見出しで基本構想の概要を伝えている。記事では政府の方針として「共同宣言では3原則の第1項(中華人民共和国は中国を代表する唯一正統の政府)を確認するにとどめ、したがって戦争状態の終結もできれば盛り込むことを避けたい考えだ」と紹介。さらに「これは日台条約によって中国との戦争状態は終わった、とする政府のこれまでの立場を中国が高度な政治的判断から理解することを強く期待しているためだが、戦争週家悦を宣言しない代わりに、前向きに今後の友好関係確認のため、平和5原則を積極的に受け入れるべきだとの意見が政府部内に高まっている」との政府内の意見にも言及している。

 「対中貿易拡大に対処/代表質問終わる/知事、積極姿勢示す」との見出しで、屋良朝苗知事が日中国交化を受けて対中国との貿易拡大に取り組む決意を伝えている。

 米軍の相模原補給敞から戦車を移動させるのに相模原市が道路使用を許可しなかった件に関連して「横須賀市議会も反対/米軍戦車積み出し」との見出しで、反対する地方議会の姿勢を伝えている。

 

 ◇  ◇  ◇

 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。