「原爆文学」と「沖縄文学」とを並べて討議されたのは2002年4月号『すばる』誌上においてであった。小森陽一は、そこで両者を共に取り上げた意図について丁寧に説明していたが、その両者を取り上げて論じた本格的な論考集が本書である。
一口に「原爆文学」といってもその内実は千差万別である。さらに「沖縄文学」ということになると、これまた多様多彩であるといっていい。
そのことは、それぞれに数十巻におよぶ『全集』が編まれていることにも表れているが、そのような数ある作品の中から「原爆文学」そして「沖縄文学」として、何を取り出してくるか、ということだけですでに大変な仕事になっていくことはいうまでもない。
「原爆文学」についていえば、原民喜ではなくなぜ太田洋子なのか、さらには井上ひさしではなくなぜ井上光晴なのかといったことから始まっていくだろうし、「沖縄文学」では山城正忠、池宮城積宝、山里栄吉ではなくなぜ大城立裕、長堂英吉、島津与志、又吉栄喜、目取真俊なのかといったことになる。
「原爆文学」として取り上げられた作品はいうまでもなく、「沖縄文学」として取り上げられた作品群を見ていけば、本書が、戦争と関わりのある作品を取り上げて論じた論考を集めたものであることが分かるであろう。それが本書を際立たせている点だが、本書はこれまでの戦争関連作品を扱った論述とは大きく異なるものとなっていた。
まず、第一に、それらを論じることが「戦後日本のあり方を問い直すことに」つながるはずだという基本的な姿勢を貫いていること、第二には、作品を読むということは「言葉を通して他者の体験を生き、言葉にならない残響としての呼びかけを聞き取ること」だとし、死者が言葉にしようとしてしえなかった思いの数々を、表題にもなっている「出来事の残響」として丁寧に聞き取っていくとともに、それらを身をもって引き受けようとする態度を鮮明にしている点である。(仲程昌徳・元琉球大学教員)
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むらかみ・ようこ 1981年、広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。現在、成蹊大学アジア太平洋研究センター特別研究員・大学非常勤講師。専攻は沖縄・日本近現代文学。
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