中城御殿に石積み遺構 専門家「重要な発見」


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中城御殿の西側外壁の範囲を示す大規模な石積み遺構。右側には拡張のために築かれたと考えられる2段の石積みが見える。手前左は井戸跡=20日、那覇市首里大中町の県立博物館跡地

 那覇市首里の県立博物館跡地で行われている中城御殿(うどぅん)跡の発掘調査中、敷地の西端で高さ約3メートル、幅約15メートルの大規模な石積みが確認されたことが20日までに分かった。高さ約3メートルののり面を2層の石積みで土留めしており、その上に石垣が築かれていたとみられる。この発見で西側の外壁の位置がほぼ明らかになった。調査を担当している県立埋蔵文化財センターの山本正昭主任専門員は「沖縄戦で破壊され、戦後も地形が改変された中で、古来からの伝統的工法による大規模な石積みの発見は重要だ」と話している。

 中城御殿は琉球国時代に次の国王になる世子(せいし)が生活と執務をした施設。琉球併合直前の1875年に現在の首里高校グラウンドの位置から移転した。1870年からの移転工事で、土地造成のためにこの石積みが築かれたと考えられる。同様の工法は首里城や円覚寺でも見られる。
 85年に最後の国王だった尚泰と家族が東京に移住した後は尚家の別邸として使われた。石積みの外側の低い位置に、2段の低い石積みと井戸も見つかり、後に敷地を拡張したことも分かった。この区域の調査は12月までで保存のため埋め戻される。