『父の三線と杏子の花』 原点の沖縄とハンセン病


社会
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『父の三線と杏子の花』伊波敏男著 人文書館・3556円+税

 この本を読んで伊波敏男さんの人生の原点はハンセン病体験と沖縄生まれの2点にあることがよく分かった。伊波さんは1943年、南大東島で生まれ、日本軍によって本島へ強制移住。2歳の時に家族と共に戦火の中を逃げ回った。57年、ハンセン病を発病し沖縄「愛楽園」に入った。

 ハンセン病者のための岡山県邑久(おく)高校を卒業。病気が完治した伊波さんは67年、東京港区の中央労働学院(現武蔵野外語専門学校)で学んだ。その後、東京の社会福祉施設の仕事に就き結婚。2児が誕生した。現在は長野県で沖縄塾を主宰している。この間、ハンセン病に対する政府の誤った政策、社会の偏見と差別、後遺症の手術など私たちには想像のできない辛苦を重ねている。本には2004年5月から14年12月まで月2回、伊波さんのホームページ「かぎやで風」がまとめられている。
 「沖縄塾は沖縄から延べ32人の講師を招いての講演会。長野県民に呼び掛けて2010年10月21日を含め3日間、信濃毎日新聞に辺野古新基地建設反対の意見広告を掲載した」(「かぎやで風」14年5月)
 「民意が明らかにされても、もし辺野古新基地建設を推し進めるようになれば、この国の民権と民主主義は死に体となったことを意味する」(14年11月)
 伊波さんの本によると、1897年、ハンセン病は遺伝ではなく感染症と確認された。治癒薬プロミンが発見され、外来治療で治ると知った。しかし、日本では1931年、患者を隔離するとした「癩(らい)予防法」が99年まで続いた。
 伊波さんは「2003年、熊本で起きたハンセン病回復者の宿泊を拒否する『黒い温泉ホテル事件』のように偏見は根強い」と指摘する。政府のハンセン病補償金を基に設立した伊波基金によってフィリピン人20人がフィリピン国立大学医学部レイテ分校で学び、地域医療の第一線で活躍している。中学校を中心に932回講演するなど伊波さんの活動には頭の下がる思いである。良い本を読むことは人生の喜びとあらためて感じた。(石川文洋・写真家)
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 いは・としお 1943年、沖縄県生まれ。作家。人権教育家。長野大学客員教授。NPO法人クリオン虹の基金理事長。

父の三線と杏子の花
父の三線と杏子の花

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