「おばあ」忘れない 平良とみさん死去 関係者、別れ惜しむ


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最後の舞台となった「五人の母」で、夫進さん(左から3人目)と共演するとみさん(同2人目)=2014年9月16日、沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ

 平良とみさん(87)の突然の訃報に共演者らから6日、悼む声が上がった。沖縄芝居の後輩役者らは「ありがたい先輩だった」と生前のとみさんをしのんだ。テレビ出演で沖縄の「おばあ」像が定着したが、ドラマ共演者らからは「本当のおばあちゃんみたいだった」「元気を与えてくれた」などと感謝の声が上がった。

 NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で、平良さんの孫役のヒロイン・古波蔵恵理を演じた国仲涼子さんは「撮影の時も普段の会話の時も、おばあおばあと慕われ、小さい体からあふれるパワーは、みんなに元気を与えてくれた。大変な撮影の中、毎日顔を合わせると体調大丈夫?とずっと私の体を気遣ってくれて、本当に自分のおばあちゃんのようだった。感謝の気持ちでいっぱいだ」とコメントを寄せた。
 「ちゅらさん」で孫役を演じたお笑いコンビ、ガレッジセールのゴリさんは「大先輩だが、とてもかわいい人だった。笑った時のくしゃっとした顔が愛(いと)おしく、すぐに場が和んだ。つらくても苦しくてもいつでも笑顔で生きることが大切だということを教えてもらった」とコメントを寄せた。相方の川田広樹さんは「すごく優しくて本当のおばあちゃんみたいだった。おばあの優しい声が今でも忘れられない」と記した。
 「ちゅらさん」の脚本家、岡田惠和(よしかず)さん(56)は「『このドラマは沖縄のためになりますか』と平良さんに聞かれ『絶対にそうします』と答えた。あの言葉があったからこそ襟を正して作品づくりに臨めた。とても大切な方がいなくなってしまった」と声を落とした。「『おばあ』が一番威張っていて、慕われている。日本人が失いかけていた家族関係を思い出させてくれた」と突然の別れを惜しんだ。
 「ちゅらさん」の舞台となった竹富町小浜島は放送を機に全国から観光客が押し寄せた。大久英助小浜公民館長は「大変残念だ。もう少し長生きして郷土芸能を引っ張ってほしかった。『ちゅらさん』は無名の島を日本中から注目を集める島にした。ドラマをきっかけに祭りも生まれ、島の発展に貢献した」と話した。
 とみさんは沖縄芝居の翁長小次郎一座で基礎を培った。後輩役者の仲嶺眞永(しんえい)さん(80)は「夫の進さんと兄弟同然にやってきて、とみさんはお姉さん(同然)だった。演技を細かく指導をしてくれるありがたい先輩だった。進さんの演技もとみさんの力があってのものだ」としみじみ語った。
 とみさんが出演した演劇「洞窟(ガマ)」などの脚本を書いた作家の嶋津与志(本名・大城将保)さんは「今はとても心境を語れる状態ではない」と声を詰まらせた。