「3・11」を風化させない 避難者ら防災へ提言 那覇でシンポ


この記事を書いた人 田盛 良一
歌を歌い、被災地に寄り添うことを確認し合うシンポジウム登壇者ら=9日、那覇市のテンブスホール

 東日本大震災から3月11日で5年を迎えるのを前に、ガールスカウト県連盟(仲地輝美県連盟長)の「キズナデー」シンポジウムが9日、那覇市のテンブスホールで開かれた。福島県からの避難者や被災地でのボランティア経験者が登壇し、今後の被災地支援や沖縄での防災の在り方などについて問題提起した。同連盟が震災の教訓が風化するのを防ぐ目的で初めて開催し、約170人が参加した。

 2011年5月に福島県から沖縄に移り住んだ大橋文之さん(57)=八重瀬町=は「被災直後、家族が離れ離れになったことがつらかった。いざというときの避難場所を普段から決めておくことが大事だ」と強調。地域の事情に詳しい人が高齢者らを助けて回った事例を挙げ「地域のコミュニティーを大切にすることが被害を少なくする」と述べた。
 ガールスカウト県連盟の仲村優希さん(代読)、タイムス住宅新聞記者の相馬直子さん(32)=宜野湾市=は被災地でのボランティア活動を報告した。相馬さんは「女性は化粧品やハンドクリームなどがあれば非常時から日常に戻ることができる。女性の視点からの支援も考える必要がある」と語った。
 沖縄ネパール友好協会のオジャ・ラックスマン会長(29)=那覇市=は、昨年4月に発生したネパール大地震の被災地の状況を報告。沖縄の募金が、倒壊した学校の再建などに生かされたことを紹介した。
 来場者は花びら形のカードに自分ができることを書き、舞台上で木の形のボードに貼り付けた。松川小5年の柳静菜さん(11)は「募金箱やフードバンクなど、ちょっとしたことでも協力したい」と話した。
 金城美千代さん(43)=宜野湾市=は、避難者の話を聞き「思いが胸に迫った。5年がたち忘れてしまいがちだが、今も苦しんでいる人がいると思い出し、支援を続けようとあらためて思った」と話した。