③「殺されると思った」 無一文で引っ越す


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祖母に付けられたやけどの痕。4カ月たった今も、消えずに残っている

 祖母と言い争っていると、突然、足に激痛を感じた。祖母が右足の甲にたばこを押し付けていた。あまりの痛さに悲鳴を上げると「うるさい」と怒鳴られた。しばらくすると傷口から赤い血の塊が出た。「殺されると思った」。本島南部に住む小学4年生の少女(10)は昨年9月のつらい体験を早口で振り返った。
 少女の両親は2年ほど前に離婚した。その時、家族3人で暮らしていたマンションから、母と2人で同じ校区内のアパートに移った。そして、それから1年後、違う街に住む祖母の所へと再び引っ越した。それまで住んでいた地域と違う都市部での生活。祖母が借りていた部屋は一軒家の2階部分で、1階にはスナックが入っていた。夜になるとカラオケの音楽が流れてきた。そんな新生活にもすぐに慣れ、新しい友達もできた。
 しかし、祖母は厳しかった。「売り飛ばされるよ」「捨てられるよ」と、きつい言葉でたびたび叱られた。母が仕事でいない休日、祖母がご飯を作ってくれず、朝食と昼食を抜くこともあった。
◇    ◇
 たばこでやけどを負った後、数日間、母に伝えなかった。「おばあちゃんが少し落ち着いてから話そうと思っていた」と振り返る。一方で、祖母には「学校の先生に言ったよ。先生がおばあちゃんのことを怒っていたよ」とうそをついた。家族の関係や自分を守るために必死に考えた策だった。
 数日過ぎて、母にやけどの傷を見せた。同じころ、「学校に伝えた」ことはうそだと知った祖母から怒鳴られた。その場を目撃した母が、祖母につかみ掛かった。2人はもつれ合い、殴り合いながら倒れた。祖母が包丁を取り出すのを見て、泣きながら叫んだ。「お母さん死なないで。お母さんが死んだら、私どうすればいいの」
 けんかの後、祖母に「もうあんたたちとは暮らせないよ」と告げられた。母は給料を祖母に渡していたため、親子は無一文で出ていくことになった。
◇    ◇
 引っ越し先は、近くにある築40年以上の古いアパートに決まった。トタン板の屋根は雨が降ると音がうるさく、天井から雨漏りがする。ネズミにご飯の残りをかじられることもある。他の入居者はみんな、1人暮らしの高齢者だ。ベニヤ板の壁の向こうから隣のせきが聞こえてくる。それでも「敷金・礼金なし、家賃1カ月分は無料」で受け入れてくれた家主に感謝した。
 母と2人の生活が再び始まった。母は午前10時から午後6時まで土日も働く。収入は月12万円ほど。児童扶養手当と就学支援を受けているが、家計は常に厳しく車も持っていない。「子どもにお金を使うのを嫌がっていた」と別れた父からの養育費はない。祖母と暮らしていた時にはあった祖母のわずかな年金もなくなった。
 母が仕事でいない平日夕方や土日は、同じアパートの高齢者とおしゃべりするか、部屋で1人で過ごす。1人の時は勉強したり、家にないテレビの代わりにネットの動画を見たりする。友達を部屋に呼んだこともあるが、周囲に筒抜けの声を注意され、控えるようになった。「楽しいよ。やることいっぱいだよ」と笑うが、時々、用事もないのに仕事中の母に電話してしまう。少女が「大嫌い」と明言している祖母にも、こっそり電話したことがある。
 「将来はお医者さんになりたい。看護師さんもいいな」「ピアノを習いたい」と少女は育んできた夢を語る。しかし学習塾やピアノ教室に通うめどはない。
 「行かせてあげたい。だけど経済的に無理」。家事や育児、お金のやりくりなど全て1人で担う母は首を振った。その母自身も幼いころ、貧しさで食べることさえ我慢する苦しい経験をしてきた。(子どもの貧困取材班)