⑤「欲しい物はない」 家出、公園で2晩


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小学校のころ家出した公園で当時を振り返る男子生徒

 呼び鈴が鳴り、食卓を囲む家族の手が止まる。母が玄関に向かうと、きょうだいは黙って食事を続ける。時折、「家賃」という女性の言葉と、ひたすら謝る母の声が聞こえた。
 県内の定時制高校に通う男子生徒(18)は小学生のころ、父の経営していた会社が倒産した。自暴自棄になった父は新たな仕事を探さず、家にこもった。毎日酒を飲み、家族のささいな行動に激高するようになった。飲酒を止める母には暴力を振るった。日を追うごとに酒量が増え、暴言や暴力はひどくなった。思い通りにならないと、子どもに「殺すぞ」と言うこともあった。
 一家の収入はパート従業員として働く母の給料が頼り。家賃を払えず、毎月のように大家が取り立てに来た。「いけないような気がして」、話の内容はできるだけ聞かないようにした。電気や水道、ガス代などを払うため、一家は借金を繰り返した。家計を心配した親戚らが持ってくる食料が命綱だった。
 生活保護を受け始めたのは困窮状態になって4年ほどたってからだ。家族は誰も制度を知らなかった。母が同僚から話を聞き、申請した。
 父はもともと頑固で厳しかった。酒が入り、理不尽なことで怒られても怖くて言い返せず、我慢するだけだった。1人で働き、家に帰れば責められる母の姿を見ていると、怒りが湧いたが抑え込んだ。「でもかわいそう」。幼い少年にできたのは家事を手伝って母の負担を軽くすることぐらいだった。
◇◇
 小学6年のある日、「遊びに行くな」という父に初めて反発した。聞く耳を持たず、強い口調で怒鳴りつけられた。緊張の糸が切れ、抑えていた感情があふれた。「とにかく、ここにいたくない」。衝動に駆られ、家を出た。祖父の家に行くつもりだったが、人と話す気になれなかった。
 徒歩10分ほどの住宅街にある公園で、ブランコに乗ったり、ベンチに座ったりして時間をつぶした。雨が降ると、同級生に比べて小さな体を円筒型の遊具に収め、眠りに就いた。「早く家に帰りたい。でも父がいる家には帰りたくない」。公園で2晩過ごした。その間は学校に行かず、公園の水道の水しか口にしなかった。
 その後、祖父の家に身を寄せた。時折、寂しさが込み上げてきたが、1週間は我慢した。「ここまですれば父も家族の気持ちを分かってくれるだろう」。少年なりの抗議だった。だが何も変わらなかった。余計に機嫌が悪くなっていた父に怒鳴りつけられた。「本当につらかった」と振り返る。
◇◇
 父の会社が倒産してから外に遊びに出掛ける機会が減った。小遣いを欲しいと言える状況にはない。友人の誘いも断るようになった。何より、父の行動で家庭が緊迫する中、家族を置いて外出できなかった。
 帰宅後は家でテレビを見て過ごした。両親の口論が始まると、兄と共用の寝室にこもった。父以外の家族間の会話も少なかった。
 周囲の子が持っているゲームも漫画もないのが当たり前だった。「自分の欲しい物とかは考えたことがない」。服も靴も兄のお下がりで十分だ。「見た目にこだわりはない。使えれば何でもいい。ゲームも漫画も友達から話を聞ければいい」
 家庭が混乱する中、自分のことを考える心の余裕はない。少年は睡眠不足にもなっていく。家のことが気掛かりで勉強にも集中できない。そんな生活が続き、学業不振に陥っていく。
(子どもの貧困取材班)