【震災5年】県職員辞し岩手で高齢者支援 西原出身・平良さん


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高齢者の生活支援に奔走する平良美沙さん=2月25日、岩手県大槌町役場

 2011年3月11日、当時の町長らが津波の犠牲になり、壊滅状態になった岩手県大槌町。西原町出身の平良美沙さん(33)は13年春に沖縄県職員を辞め、岩手県の任期付き職員に転身した。大槌町民生部長寿介護班の職員として、被災した高齢者が共同生活する仮設住宅に通いスタッフや本人から状況を聞く業務などを担う。震災から5年。「被災地の高齢者として支援するのでなく、一般の高齢者として支援を考えなければいけなくなっている」と力を込める。

 沖縄県庁の職員として八重山の福祉保健所に勤めた。震災後、被災地の生活が気になり「腰を据えて働きながら被災地を見たい」と、岩手県の職員採用試験を受け、合格した。
 平良さんが関わる高齢者共同仮設住宅は震災後、他自治体にもあったが、現在は岩手県内で大槌町だけだ。
 台所や食卓、入浴スペースは共用のグループホームの形態。入居者は震災前、持ち家に住んでいたが、津波で家を失った人が多い。
 「入居時は元気だった高齢者も年月がたつに連れ、歩行が困難になったり、認知症を発症したりする人が出てきた」と平良さん。「住所は町内に置いたまま、町外の施設や家族の家に暮らすなど、実態が把握できない問題もある」という。
 春に任期終了を迎える。だが「沖縄に帰って、被災地の報道が少ないと感じた。岩手に残れたら残りたい」と、被災地で継続して働くことも模索している。「何かの機会で、被災地の状況を思い出してほしい」と呼び掛けた。
(東江亜季子)