【ハワイ】父母の教え 社会に還元 西原系2世・城間さん


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ドロシー・ホー城間さん

 沖縄系2世のドロシー・ホー城間さん(87)は、西原村兼久出身の父、城間タロウさんと同村内間出身の大城カメチアさんの三女としてマウイ島カハクロアで生まれた。父タロウさんは1917年に、母カメチアさんは21年にそれぞれハワイへ到着した。
 ドロシーさんは1世の両親を思う時、感謝で胸がいっぱいになる。英語も話せず、これといった教育も受けずにうちなーぐちで子どもを育てた両親は、プランテーションで一生懸命働き、後に畑で野菜をつくり、八百屋を営み、飲食店を立ち上げた。

ドロシー・ホー城間さんが大事にしている両親の写真

 「家族のために知恵を絞ったのでしょう」とドロシーさんは両親の来た道を振り返る。八百屋で売れ残りのパパイヤを近所に売りに歩かなければならなかった小学生時代もあった。「その時はとても恥ずかしかったが、その経験があったからこそ謙虚であることの大切さを学んだ」と笑う。
 父タロウさんからは琉球舞踊や太鼓といった芸能を習わせてもらった。母カメチアさんは大の働き者で、思いやりを持って他人に接するよう教えられた。
 カメチアさんの介護を通してドロシーさんは、介護が必要で困っている人たちが多くいることを痛感。学校の補充教師から福祉職へ仕事を転職した。
 同時に、日本語で役立つ情報を1世の人たちのために日本語ラジオ放送局で36年間発信し続けた。完璧でない日本語を批判する人もあったが「一生懸命頑張りました」と明るく語る。
 日ごろ芸能の稽古に励むシニアが舞台でその成果を披露する機会を提供するため、1989年から2013年まで24年間にわたって「かりゆしバラエティショー」開催のリーダーとして活躍した。
 ドロシーさんは長年にわたる社会奉仕で、ハワイ州やホノルル市郡、沖縄コミュニティーなどから賞を受けた。
 中国系アメリカ人の夫アイバンさんとホノルル市内に暮らし、今でも日本語ラジオ放送の視聴者らから連絡を受けると丁寧に対応している。
(名護千賀子通信員)
英文へ→Shiroma honors Okinawan parents through community service