「島田知事の道」検証 真地―首里 関係者遺族も参加


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沖縄戦時の島田叡知事らが通ったルートを確認する検証作業参加者ら=3日、那覇市首里金城町

 繁多川公民館(南信乃介館長)は3日、沖縄戦当時、那覇市真地に構築された県庁・警察部壕と首里城地下の第32軍司令部壕を結んだルートの検証作業を行った。同ルートは当時の島田叡知事らが情報収集のため行き来したとされ、検証参加者らは71年前に思いをはせながら約1・2キロの道のりを確認した。

 検証はことし2月にも実施したが、雨天のため県庁・警察部壕の首里側に開いた通称「B入り口」の確認にとどまっていた。今回は島田知事に同行した警察・報道関係者の遺族を含む約30人が参加し、壕内見学から検証作業を再開した。
 参加者は「B入り口」から現在の県病害虫防除技術センター敷地内を通過し、「ヒジガー橋」付近を経て金城ダム沿いから「座波山」を登り、県立芸術大首里金城キャンパス近くの斜面に位置する「第5坑口」までをたどった。
 島田知事の警護官だった新垣徳助さん=故人=の長男・安男さん(65)は「父は南部に避難するまでの体験について『遺体をたくさん見て、やがて何も感じなくなった』と言っていた。その思いが伝わるようだった」と語った。同じく警護官で今回のルート情報を後世に残した当真嗣盛さん=故人=の長男・嗣弘さん(73)は「若い世代にも伝えるため、ルートを整備してほしい」と望んだ。
 同公民館は今回の検証結果をホームページ内の地域マップなどに反映させ、情報を残す方針。