期待、落胆「あと何度」 宜野湾上大謝名自治会、動かぬ危険にため息


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宜野湾市上大謝名公民館に集まる自治会運営委員ら=12日午後9時、市大謝名

 【宜野湾】米軍普天間飛行場の返還合意から20年を迎えた12日、地元・宜野湾市の上空では米軍機が訓練を続けた。

 上大謝名公民館にはこの日夜、自治会の運営委員ら9人が集まっていた。大城ちえ子自治会長(62)は「とても喜んだのを覚えている」と20年前を振り返った。1996年4月12日、自治会の運営委員会中、遅れてきた住民から返還合意の知らせが入った。約2週間後の総会資料の表紙には「祝・普天間全面返還」と印字した。
 当時から運営委員を務める波平道子さん(67)は「子どもたちが幼いころ、米軍機の音を怖がっていた。孫の代まで残っているとは思わなかった」と肩を落とした。大城自治会長は「20年の間に喜んでは期待を裏切られた。あと何度、期待と落胆を繰り返せばいいのか」とため息をついた。
 一方、2004年8月に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学には5千人以上の学生が通う。今月入学した那覇市の前泊里奈さん(19)は、通学で米軍機を目にするようになった。「基地が身近になり、怖い気持ちになる」と話した。2年生の男子学生(19)は、返還が合意された1996年に市野嵩で生まれた。「移設先は正直どちらでも構わない。周辺の騒音軽減はしっかりしてほしい」と語った。