『沖縄県史 資料編25』 女性の歩み明らかに


社会
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『沖縄県史 資料編25 女性史新聞資料 大正・昭和戦前編』県教育庁文化財課史料編集班編 沖縄県教育委員会・5400円

 1960年代の旧・沖縄県史以来、これまで多くの県市町村史の資料編として新聞集成が刊行されてきた。本書は、石垣で発行されていた『海南時報』や、「宮城真治新聞資料」のような故人によるスクラップ記事なども収めており、この間進められてきた往時の新聞の収集整理の成果が活(い)かされている。本書により、『沖縄県史 資料編16 女性史新聞資料 明治編』と併せて、新聞資料の得られる1898年から沖縄戦前夜の1945年2月までの主な女性史関係記事が整理されたこととなる。

 本書は、ユタの取り締まり、辻遊郭、祭事、女学校や女性教員、移民や出稼ぎ、「生活改善」に関する運動など、近代沖縄女性史に関する多様な記事を収録している。また、県外各地の紡績工場で働く女工募集の広告も多く取り上げられている。それらの中で、私は、「産婆」に関するいくつもの資料に注目した。
 大正3年2月の記事によれば、養成教育を受けるなど試験により資格を得た産婆は少数であり、それまでの経験による産婆が大多数を占めていた。「学校出のホヤホヤ産婆」に対して、妊婦は躊躇(ちゅうちょ)を感じ、経験による産婆は冷笑したという(大正3年7月)。その後の資料には、産婆生徒の募集広告が見られ、応募者が多いことが報じられる(大正14年3月)。昭和9年には、産婆等を派遣する看護婦会の広告もある。国や県が定める制度の下、養成教育による産婆が、経験による産婆を制圧していくことが本書から見えてくる。そして私は、新聞に書かれなくなった、経験による産婆にも関心をもった。
 本書には索引がないため、産婆に関する記事がどこに収録されているかは、本書を丹念にめくらなければ分からない。それでも、本書がなく、各新聞を1面ずつ開いたとすれば、これだけのことを調べるのもどれだけ大変であったろうか。新聞資料の大部分は、男性が執筆したものであり、女性は描かれた存在であった。本書の刊行により、描かれた女性が読み込まれ、女性たちの歩みが明らかにされていくであろう。(近藤健一郎・北海道大学准教授)
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 新沖縄県史編集事業 沖縄県は1993年度から新県史編集事業を始め、98年度の編集計画に沿って、各論編、図説編、資料編、概説書、ビジュアル版などの企画・編集・刊行業務を進めている。