人生ひらく「なんくるないさ」 アメリカに響くエイサー


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力強いエイサー演舞を披露したボストさん一家。(後列左から)次男の慎さん、母親の幸子さん、長女の紗理奈さん、(前列左から)三男の俊・ペドロ君と四男の沙允・アルフレッド君=米国・ノースカロライナ州

 ノースカロライナ州フェイエットビル市内で4月2日に開催された沖縄県人会創立20周年記念祝賀会のステージで、力強いエイサー演舞を披露したボスト家の5人。母親の幸子・ボストさん(43)=旧姓・長浜、宜野湾市出身=と次男慎さん(17)、長女紗里奈さん(12)、三男俊・ペドロ君(11)、四男沙允・アルフレッド君(8)の4人の子どもたちである。その晴れ舞台を夫のサニーさんが見守った。

 空軍勤務だったサニーさんと幸子さんは1995年に出会い結婚。間もなくサニーさんは転勤で単身米国へ。幸子さんは、長男と次男を沖縄で出産し、母親の協力の下で育児に専念した。サニーさんが長期休暇を取って沖縄へ来たり、幸子さん親子が米国にいるサニーさんに会いに行ったりする遠距離での生活が続いた。
 「夫の実家に9週間世話になった時は、言葉の壁、嫁しゅうとめの壁、食生活の違いに困惑状態。おかげであれほどまでに痩せたことは後にも先にもなかった」と笑う幸子さん。息子2人が学童期となり、米国への引っ越しを決意し、渡米後は長女、三男、四男に恵まれた。
 軍を退職し、子どもの頃からの夢をかなえてトラックの長距離ドライバーになったサニーさんは、他州での仕事で不在の日々。幸子さんは夫の両親が経営する保育所を手伝いながら育児に奮闘する中、日本人の友人は1人もおらず、郷愁の念にかられることも度々だった。
 幸子さんは「初めての米国での出産、子育ては言葉や文化の違いなどがあり大変だった。長男、次男は英語が話せないまま現地校に入って苦労もあったが、長男は父親不在中、弟妹の面倒を見てくれた。頼りになる長男の存在は大きかったし、自分の、なんくるないさの楽観的性格で困難を乗り越えてきたように思う」と述懐する。
 その後、沖縄県人会のメンバーに出会い、エイサーグループの存在を知る。小さい頃からエイサーが好きで自己流で踊っていた長男と、次男も練習に参加させた。幸子さんは「沖縄県人会の皆さんには、子育てを助けてもらい、子どもたちを孫のようにかわいがってもらい感謝している。友人が増えるにつれ元気も増し、体重も増えていった」とユーモアを交えて振り返る。
 19歳の長男翔さんは高校卒業後、沖縄に渡り、今は働きながら祖母と暮らしている。子どもたちはそれぞれに学業、スポーツ、そしてエイサーにいそしみ、幸子さんはその送迎にも慌ただしい毎日を送る。「子どもはいつの間にかたくましく育ってくれた。母として5人の子どもたちに育てられ、いつの間にかチューバーになってしまった。そして、今年80歳になる母の偉大さをかみしめ、愛情を一身に傾けて育ててもらったことに感謝の思いでいっぱい。いつか一家全員で里帰りしたい」と幸子さんは最後にしみじみ語った。(鈴木多美子通信員)