「キダチ」さん探してます 沖縄戦当時の飯ごうに名前


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「キダチ」と彫られた日本兵の飯ごうを遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表に託した大城清行さん(右)=11日午後、那覇市上間

 1947年ごろに那覇市識名の野戦病院壕で見つかった飯ごうが、青森県出身の日本兵、木立寛藏(かんぞう)さんの物だった可能性が高いことが分かった。飯ごうのふたに刻まれた「キダチ」という名字が、糸満市摩文仁の平和の礎に刻まれている「木立」という青森県出身の男性と一致した。自宅の倉庫で約70年間保管していた大城清行さん(76)=那覇市上間=は「遺族を捜し、お返ししたい」と話した。

 ことし4月、大城さんから相談を受けた遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表が調査し、判明した。「キダチ」と読める姓は、平和の礎で刻銘された戦没者のうち、青森県出身の「木立寛藏」のみで、具志堅代表は「恐らく本人の物だろう」と指摘した。
 大城さんは、47年ごろに那覇市識名にあった野戦病院壕で兄と材木などを探していたときに飯ごうを発見した。容器部分には別の「守田」とみられる名前が彫られており、大城さんは「ふたと容器は別々だった可能性もある」と話した。具志堅代表は「アルミは腐食し判読できないことが多い。倉庫で保管していたことと、珍しい姓が幸いし、特定に結び付いた」と語った。