「けんこうをとりもどしたい 沖縄県みんななかよく 平和な島に」 8歳の金城君、「平和のうた」で願い


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「平和のうた」に短歌を応募した金城孝哉君(中央)と、掲載を喜ぶ祖母の金城藤子さん(左)、曽祖母の百名恒子さん=浦添市

 本紙で毎週日曜の一面に掲載している「平和のうた」で8日、金城孝哉君(8)=沖縄県西原町=の短歌〈けんこうをとりもどしたい 沖縄県みんななかよく 平和な島に〉が掲載された。素直な言葉に込められた平和への思いは、短歌に親しむ曽祖母、祖母から世代を超えてつながれたものだ。

 今年1月「平和のうた」の募集記事を目にした祖母の金城藤子さん(66)の勧めがきっかけだ。孝哉君はこれまで短歌を詠んだことはなかったが、藤子さんが「平和は身近なところにある」と学校生活や友達のことなどおしゃべりの中で引き出しを開けてやると、創作意欲に火が付いた。
 「頭の中に『これで書いてみたら』という言葉がどんどん出てきた」と孝哉君。夜に自室でチラシの裏に歌を書きなぐり、翌朝藤子さんに見せるという作業を3日間ほど続け、2月末に平和のうたへ投句した。基地や戦争といった直接的な言葉ではなく、日常の平和を思い描く表現が選者の目に留まり、入選した。
 実は藤子さんとその母の百名恒子さん(96)は本紙文化面「琉球歌壇」の常連で、恒子さんは1年を通して最も優れた作品を投稿した詠み手に贈られる琉球歌壇賞を1989年に受賞したこともある。
 孝哉君は普段からよく藤子さんと一緒に浦添にある恒子さん宅を訪れ、大叔母にあたる藤子さんの妹たちに絵画やピアノを教わっている。
 恒子さんはかわいいひ孫の作品に「話し言葉で作っているところがいい。大人には書けない素直さが出ている」と目を細める。
 藤子さんは琉球新報の取材を受け、新たに歌を詠んだ。「母から娘さらに孫へとつながれし短歌に託さん明日の平和を」。引っ越しや進級もあり今は句作を“お休み”している孝哉君だが、「また挑戦したい」と笑顔で応えた。(大城周子)