金城妙子さん死去 「沖縄の公衆衛生看護の母」


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 戦後沖縄の公衆衛生看護活動に力を尽くし、1999年に看護関係者に与えられる世界最高の栄誉「フローレンス・ナイチンゲール記章」を受章した元那覇保健所看護課長の金城妙子(きんじょう・たえこ)さんが15日午後11時56分、老衰のため浦添市の老人ホームで死去した。100歳。名護市安和出身。告別式は17日午後4時半~5時半、浦添市前田2の15の1サンレー中央紫雲閣で。喪主は長男・康博(やすひろ)氏。

 金城さんは戦後、名護保健所看護婦長、沖縄公衆衛生看護学校専任教員、公衆衛生看護係長などを務めた。公衆衛生看護婦の養成に尽力し、医師のいない離島へき地を含む県全域に公衆衛生看護婦を配置し、生活に密着した活動を隅々に行き渡らせた。沖縄の「公衆衛生看護婦の母」といわれた。76年に県職員を定年退職し、77年、特別養護老人ホーム「ありあけの里」初代所長に就任、82年まで務めた。同年に「朝日社会福祉賞」、95年に県功労章を受けた。
 金城さんの下で公衆衛生看護婦を務めた金城英子さんは「教え子や後輩はお母さんのように慕っていた。看護婦が仕事をしやすい環境をつくってくれた。惜しい人を亡くした」と話した。