飯ごう持ち主の遺族判明 青森の山谷さん「伯父の物」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「キダチ」と刻まれた飯ごうのふた=那覇市泊

 那覇市識名の野戦病院壕で見つかった、「キダチ」と刻まれた飯ごうのふたについて、青森県黒石市に住む山谷真佐子さん(62)が「伯父の物だろう」と名乗り出ていることが分かった。ふたの持ち主と思われる木立寛藏さんの弟が、山谷さんの父・木立良蔵さん(1982年に他界)に当たる。山谷さんは「びっくりした。遺骨がないので、代わりに供養したい」と話す。

 飯ごうは青森県の地元紙「東奥日報」に掲載された。この記事を読んだ山谷さんは、掲載を依頼した、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん=那覇市=に連絡を取った。具志堅さんは「遺品に名前が残っているのはまれだ。遺骨がない中で、遺品を家族に返せることができ、良かった」と話す。現在、ふたを渡す方法を検討している。

 記事を読んで、山谷さんが古い荷物を整理したところ、寛藏さんから送られたはがきが見つかったという。そこには「家族は元気ですか」などと書かれ、「今、沖縄にいます」とあった。消印は、年が不鮮明だが、12月30日とあったという。山谷さんは「本人の気持ちを思うと胸が詰まる。今では考えられないような時代だった」と話した。

 飯ごうを見つけた那覇市上間に住む大城清行さん(76)は「良かった。ようやく家族に会えると思うとうれしい」と話す。飯ごうは1947年ごろ、大城さんが野戦病院壕で見つけた。大城さんが「遺族に返したい」と、このほど具志堅さんに調査を依頼。具志堅さんがふたの「キダチ」を元に、平和の礎で調べたところ寛藏さんが唯一一致した。