広島市在住・中村さん「日米は歴史直視を」 三線で沖縄戦紡ぐ


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三線を奏で「戦場の口説」を歌う中村盛博さん=27日、広島市安佐北区

 【広島市で宮城隆尋】オバマ米大統領が27日に広島を訪問した。しかし原爆投下の是非には言及せず、被爆者への謝罪もなかった。中城村出身の中村盛博さん(66)=広島市=は「戦場の口説」を作詞した父・盛鴻さんの遺志を継ぎ、30年前から子どもたちの交流事業や集会を開き、広島と沖縄を結ぶ活動を続けてきた。「日本も米国も太平洋戦争をはじめとする歴史にきちんと向き合っていない」と批判する。

 幼少時、集落の裏山で米軍は演習を繰り返し、銃声が頻繁に聞こえた。米兵が集落に現れると青年団は鐘を打ち鳴らし、女性たちに危険を知らせた。「表面化しない暴行事件は数えられないほどあった」という。

 1968年、大学進学を機に広島に移った。86年ごろ、父が「上い口説」の曲に独自に詞を付けた「戦場の口説」の話と父の、沖縄戦の体験を聞いた。戦場を逃げ惑って米軍に保護されたが、収容所でマラリアにかかった親類2人が命を落としていた。米軍上陸後、竹やりを持って突撃し、亡くなった親類もいた。中村さんは交流事業で、家族の戦争体験を伝えながら「戦場の口説」を歌った。

 〈何時(いつ)も忘れぬ 酉(とり)年の 四月朔日(ついたち) アメリカの 北谷砂辺に 上陸し/艦や飛行機の 戦弾丸 雨や霰(あられ)と 撃ち落とし アキヨ沖縄は 戦場に〉

 95年の少女乱暴事件で基地問題に焦点が当たったが「20年を経てまた同じ問題が起きた。日米両政府、日本国民はこれ以上、沖縄の声に耳を貸さないのは許されない」と強調する。

 広島沖縄県人会で三線を指導しているが「沖縄の歴史も知り、心を込めて歌うよう呼び掛けている。被爆体験が受け継がれる広島には沖縄に心を寄せる人も多い。今後も手を取り合っていきたい」と展望した。