やんばるの戦跡巡り 学徒の体験、高校生「心に刻む」


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県立第三高女で看護要員として野戦病院に動員された時の状況を語る上原米子さん(右端)=11日、本部町八重岳の野戦病院跡地

 【北部】高校生によるやんばるの戦跡巡りが11日、行われた。名護市教育委員会の主催。北部地域の5校の生徒らを含む約60人が参加し、本部町・八重岳にあった野戦病院跡地や名護市内の県立第三中学校と県立第三高等女学校の跡地などを体験者らとたどり、71年前に思いをはせた。

 当時、三高女で看護要員として動員され野戦病院にいた上原米子さん(89)は、独立混成第44旅団の宇土武彦大佐を支隊長におく国頭支隊(通称「宇土部隊」)が大砲を一度も撃たなかったことから起きた事件について話した。「兵隊の1人が『なぜ撃たせないのか』と隊長に文句を言った。その人はその場で隊長か副官に日本刀で切りつけられて亡くなった。戦争はむごい」と話した。

 三中学徒通信隊として動員された東江新太郎さん(86)と大城幸夫さん(87)は本部町の真部山で銃撃戦が起こり、多くの同級生が戦死したことを語った。

 北山高3年の宮里満理奈さん(17)は「戦争の現実をちゃんと理解して知ることは大切だと思った」と感想を述べた。辺土名高1年の儀間章託さん(15)は「学校で沖縄戦の映像を見るだけでは感じないことがある。実際に歩いて心に残った」と話した。