『太陽帆走』 存在を巡る深い思索


社会
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『太陽帆走』 八重洋一郎著 洪水企画・1728円

 詩人は、あとがきで「死への恐怖、あるいは存在しないことへの恐怖。これは実に激しく、今でもその恐怖に脅迫されてものを考えているような気がする」と書いている。

 筆者も同様の、在ることの不安と在らざることの恐怖におびえ錯乱した経験を持っている。宇宙の果ての果てを考える場合もそうである。思考が恐怖を生む。筆者(たぶんたいていの人)は、思考が恐怖の穴に落ちるのを日常的な喜怒哀楽や諦念で避け、あるいは何かにすがることでごまかして生きている。詩人は違う。存在とは何か、宇宙とは、死とは、と深く思索することで恐怖を克服しようとするのである。本書はその結晶である。結晶には心打つ響きがある。それは詩と呼ぶべきものだ。

 詩人はまず、物理学者ら先哲の優れた思想を読み解きながら、宇宙への思索を深めていく。巨大な帆を広げ、「惑星間をおもうままに巡回航行する」太陽帆走は広大無辺を行く美しいイメージだ。詩人の思考はここからさらに生命、精神、神へ、そして道元へと進む。インド思想、仏教、禅。これらは全て〈存在〉に関わることである。読み進んでいくうちに、自分という存在について考えさせられる。「マラルメ」という詩から一節を引く。

 存在するということを俺の存在から始めるならば 明らかに/存在はすべて虚無である ただの偶然の塵芥である/俺はがつがつ骨と皮 その針よりするどい/頂点にくるくる虚無がまわっている

 「石垣島通信」では、柳田国男の「沖縄の発見は大事件だ」という言葉に促されて民俗学に分け入っていく。小さな島にある来訪神仰、谷川健一の「日本人の思想の原点は“常世”にある」について考察を進めている。ポオの「ユリイカ(我発見せり)」やランボオの「見者(ヴォワイヤン)」「俺は他者」についても思考のメスを入れている。

 詩人の思索は、遥かな宇宙から身近な土着まで、そのスケールは広く深い。そこから、思索の光と土に洗われ一篇の詩が生まれる。(中里友豪・詩人)

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 やえ・よういちろう 1942年石垣市生まれ。東京都立大学哲学科卒。84年に第9回山之口貘賞、2001年に第3回小野十三郎賞を受賞。「イリプス2」同人。

太陽帆走 (詩人の遠征)
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