45年米軍撮影「読谷村楚辺の人」 実は「仲泊」、当事者確認


社会
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写真を確認する(右から)宮城カメさん、山城真浩さん、瀬戸隆博さん、大城英喜さん、山内輝信さん

 沖縄戦当時米海兵隊によって撮影され、「読谷村楚辺の人たち」と説明されてきた写真の人たちのほとんどが恩納村仲泊の住民だったことが22日までに分かった。生存者が自身や親類が写っているとして写真説明の誤りを指摘しており、同村博物館の恩納村史編さん室が聞き取りなどを基に、写真の人物の確認作業を行っている。

 写真は県平和祈念資料館などが保管。同資料館も米海兵隊の写真説明を基に「読谷村楚辺の人たち」との説明を付している。これに対し、米軍の上陸当時7歳だった山内輝信さん(79)=恩納村仲泊=は「兄と共に写真中央左側に着物姿で写っている」と指摘。戦時中、家族と共に住民が集まっていた「チンバタキ」(現在の仲泊遺跡の南東約1キロにある洞窟)に移動したという。

 数日後、米兵が入り口で子どもにお菓子をあげるのを見て「安全だと思い住民が出てきた。その時の写真ではないか」と話す。

 宮城カメさん(94)は「米軍に捕まり、仲泊の文教所に連れて行かれる時の写真だ。45年の4月8日ごろだったと思う」と話す。

 山城真浩さん(87)は写真に母・喜納ウサさんと姉・喜納ヨシさんが写っており、大城英喜さん(78)は写真に、当時妊娠中だった義母・喜納静さんが写っていた。恩納村史編さん室の瀬戸隆博さん(48)は「恩納村の戦争の写真記録は少なく、この写真は貴重」と語った。