沖縄に夜明けは来るか 幸せ呼ぶ島の実力封じるな


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菅原文子(本紙客員コラムニスト)

菅原文子(本紙客員コラムニスト)

 「朝の来ない夜は無い」と言うが、月明かりも見えない夜をどれだけ耐えたら、沖縄に夜明けは来るのだろうか。

 2015年5月、キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区が、1996年「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告」が取りまとめられてから19年目にして、ようやく返還された。SACO最終報告の和訳を読むと、沖縄の基地負担の軽減縮小の体裁を取りながら、実のところは、古く、機能が落ちた施設を、移転地の提供、あるいは追加的な施設の整備などを条件に返還するという、有無を言わさぬ強者の論理が臭ってくる。

 日米地位協定に触れる部分もあるので、地位協定を読んだが、日本人全体が侮辱されている気がして、気が滅入る内容だ。「SACO最終報告」と「日米地位協定」は、日本人必読の文書かもしれない。日本が戦後の歩む道をどこで、誰が間違えたのかを知る手がかりでもあり、日本の敗戦の姿が衝撃を持って鮮やかに浮かび上がってくるからだ。

 西普天間住宅地区返還式で、ハドソン米海兵隊太平洋基地司令官が、「この土地は、主に公共の利用を目的として活用されると理解しております。返還後の土地の再利用の成功(中略)を祈念申し上げます」と祝辞で述べているが、私にはほどんと恫喝(どうかつ)、柔らかく言ってもくぎを刺しているとしか聞こえない。返還された土地は民有地、公有地の分け方ではなく、国有地と民公有地という表現で分けられ、どれだけ沖縄県民の権利の回復がなされるのか、よく分からない。

 制限がかかり、有事の際に純然たる民有地では再接収できないが、公有地に近い扱いとしておけば、自衛隊、米軍でかなり自由に使う潜在的可能性を残しておける。ハドソン海兵隊司令官の祝辞をそのように読むのは間違いだろうか。

 1978年9月に埼玉県入間市の米軍ジョンソン基地が全面返還された後、住宅を一般に賃貸で貸し出したところ、広々とした敷地に建つアメリカン・テーストの住宅が大人気となり、周囲にしゃれた店舗も増え、その名もジョンソン・タウンとして有名になった。埼玉県入間市の公式ホームページに、跡地利用の経緯が広報されているが、沖縄に比べて土地利用の自由度が高い。いや、沖縄とは違って、地方自治権が段違いに確立しているのだろう。

 亜熱帯の植生が醸し出すエキゾチックな風景に建つ平屋建てアメリカン・テーストの住宅を、もし別荘、移住希望者に貸すなり売るなりしたら、申し込みは殺到するだろう。泡盛の黒麹(こうじ)菌、数多い薬草も沖縄の宝。沖縄に薬草微生物学研究大学を設置し、アジア圏一帯の薬草、微生物の調査研究を行い、中国やマレーシア、タイなどからも教授陣を招き、アジア圏の中核的な機関となったら、悲しい沖縄戦で倒れた犠牲者のみ霊も「命どぅ宝の島」にふさわしいとほほ笑んでくれるような気がする。

 人を幸せにできる島が、戦争と背中合わせのまま長く自由を奪われ、本来の実力を封じられているのは口惜しい。この先も「日本の安全」のためとして、沖縄の土地と県民の命を質草、人質に置いたままにするなら、絶望と怒り、そしてむなしさがこみ上げてくる。

 まして、アメリカの手先となって武器を向ける先が、かつて大きな被害を与えたアジアの国々。再び繰り返さないと誓った日本国憲法の精神にも背き、反省の薄い中枢権力に「恥を知れ」と言うしかない。
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 すがわら・ふみこ 1942年東京生まれ。俳優の故菅原文太さんの妻。2009年、山梨県北杜市で、夫妻と友人らで農業生産法人・おひさまファーム竜土自然農園を設立。完全無農薬の有機農業を営む。辺野古基金共同代表。ことし5月、本紙客員コラムニストに委嘱。